秋田市立中央図書館明徳館

                                  漂着日 2008年5月
                                        2009年9月
 
 今回は秋田市の中央図書館である。2度行っているが、その折の感想とその後の
図書館とのやり取りを書いてみたい。
尚明徳館という名は旧久保田20万5千石の藩
校に由来するものであるという。

 初回は08年5月末。前ページの酒田市立図書館訪ねた翌日に当たる。羽越線使い
午前の内の秋田市入りとなった。何回か来ていて少しは街歩きもしたが、それほど
思い出としては残っていない。どちらかと言えば印象希薄な街ではある。

 図書館を訪ねるのも初めてだが、場所は城址公園の一画で、県立美術館と並びあ
って建ち、環境は申し分ない。正確を期せば公園隣接地とするのが妥当なようであ
るが、堀を越えた先にあり公園とは一帯であるかなので、公園内と見てもいいだろ
う。此処は以前小学校(市立明徳小学校)だったそうだが、更に昔旧藩時代は重臣
の屋敷地であったという。

 初夏の風吹き抜ける爽やかな日で、公園一巡り(平山城らしく結構アップダウン
がある)の後図書館へ。大建築物と言うほどではないが、中々の規模である。外観
は低く構えてがっしりした造りで、どこか要塞といった感じがしないでもない。
 入口は正面から見て中央ではなく、右寄り 1/3の辺りにある。入ればいきなりと
いう感じで(小さな風除け室はあるが)広々とした開架図書室が待ち受けている。
ざっと奥行き24m左右54、5mといった処だろうか。これはあくまでもほぼ正味の
図書室のみの広さである。
 入って右側が児童エリア、左が一般エリアに分けられている。従って児童のエリ
アは1Fの1/3を占め、おおよそ24mX18mの区画となっている。児童エリアとし
てはまずまずの広さを確保してるかなとは思うが、30万都市の中央館というファク
ターと市街地の真ん中で、周囲に子供があまり住んでないというファクターを秤に
掛ければどんな答えになるのだろう。
 少しは興味ある処だが、日数かけて観察もしていられない。この時は平日の昼下
がりで一般エリアの賑わい他所に児童の方は幼児が何人かいる程度と静かなもので
あった。もちろん保護者同伴ではある。

 フロアほぼ中央にカウンターがあるが、その前はかなり広めの空間が取られてい
て、この図書館のエントランスゾーン的役割も担っている。
 空間取り巻くように新聞と雑誌のコーナーがあり、その向こうが成人対象の書架
の列。最奥の窓際(正面から見て建物左端)が閲覧席になっていて、4人掛けの机
が8卓並んでいる。
 一般エリアの広さは図書室の2/3 でざっと24m×36mほど。大半の書架が1F
にあるので、30万県庁所在地の中央館として窮屈感は否めないが(実際かなり混み
合っている)、それはまあ今の感覚で、建設された1978年当時には東北きっての大
型図書館として登場したのだろうな。

 面白いのは図書室通り抜け奥へ一歩踏み出した所、2階へ向かう階段下の一画が
ホールの様になっていることで、凝った円柱に大理石様の光沢ある石畳と荘重さ醸
している。
 此処ではギャラリーと呼ばれているようだが、催しを行うには狭く、通路(トイ
レ、対面朗読室に通じている)としては幅広。一般的にはエントランスホールとし
て玄関にあるようなスペースだが、此処では建物の奥深くにある。昔の商家で言う
なら店の間と奥の繋ぎ目といった位置で、設計者には何らかの意図があってこうい
う空間配したのだろう。文明の十字路的なものを表象しているのかと思ったりもす
るがそれはまあ私の勝手な想像である。
 開館当時どう使っていたか知る由もないが、現在は合わせて21脚の椅子を並べ閲
覧スペースとなっている。
 座ってみた処採光の具合も良く、中々落ち着ける席ではあった。
 ただこういう使われ方が設計者の意図したものかどうかは判らない。
 その他ソファー席、ベンチ席などもあり1Fには八十数席用意されている。

 階段上がれば中2階に16席の休憩コーナーがあり、2階フロアーには辞書、参考
書、郷土資料を置く参考資料調査室、五十席余りの読書学習室、研修ルームそして
芥川賞初代受賞者石川達三の記念室などが並んでいる。
 2Fはというかギャラリーから奥はスペース的にもゆとりある造りで、それ相応
の予算組んで建設したんだなということがよく判る。
 
 次なる訪問は09年9月後半。建物の構造、配置は前と変わるところないと見える
ので、ここではこの図書館の分類・配架について述べる。

 初回も首を傾げたのだが、驚愕の分類と言える。基本的には日本十進分類法なの
だが荒いというか雑なのだ。「188」「367」など3けたの数字のみ。「188 カ」な
ど書名、著者の頭字から採った図書記号も無し。3次分類図書記号無しという極め
て大雑把な分け方で書籍がゴチャゴチャと突っ込まれている。――さすがに伝記、
文芸関連には「289 イ」など著者記号が付いている――
 最初はラベルの記号は3次でも配架は4次に即して並べているのではないかと思
った。
 実際私が見た例では長野県の飯田市立図書館がラベルでは3次だが配架は4次と
いう方式であった。本に特に目印などは付けていないようであったから飯田図書館
の館員は4次の部分は記号ではなく本そのものを見て分けている様で、中々の力量
ではないかと感心させられたものだ。
 秋田市もそうかなと期待したが、どうもそうではないようで、念のため配架中の
女性館員に訊いてみたらやはり記号通り3次止まりで、後は知ったものかという並
べ方だという(㊟ 実際に館員がこういう表現をした訳ではない)。

 正直言って酷いもんだと思う。こんな雑な分類では利用者が本1冊探すのも大変
ではないか。開架2~3万冊の小規模館ならこの程度の分類でもいいだろうが此処
は蔵書363000冊、開架165000冊の規模がある図書館なのだから相応の分類が要求さ
れるのは言うまでもない。

 因みに上の数字は「日本の図書館統計と名簿2008年版」(日本図書館協会発行)
から引かせてもらった。
 ついでに書いておくと、この刊行物は全国の図書館のデータを掲載したもので、
面積、蔵書・開架冊数、年間貸出点数、職員数から予算まで網羅しているので、そ
の館の概要摑むのには便利なのだが、どうも出ている数字に今一つ不安がある。
 たとえば08年版では私のお隣さんの江戸川区立中央図書館が蔵書375000冊で開架
47000冊 と載っているのだが、何度も行ってこの目で見てるけど開架は少なくとも
十数万冊の規模であるはずだ。47000などということはない。
 それと此処も行ったことのある長崎市立図書館は蔵書796000冊、開架709000冊と
あるが、私の承知している数字(長崎市立図書館公表のもの)は開架25万冊、書庫
55万冊である。実際巨館だが70万冊は並ばないし、書庫もキャパシティ表わした数
値で、08年1月に開館した長崎市立図書館がたちまち書庫まで満杯になることは有
り得ず、明らかな間違いだろう。
 更に西条市立西条図書館(愛媛県。09年に新設移転してるがこれは旧館)だが、
面積 674㎡蔵書173000冊、開架122000冊と理解に苦しむ数字が並んでいる。普通に
考えてこの面積で12万冊は並ばないだろう。全館の延床面積で開架室だけの広さを
出しているのではないのだから。しかも5万冊分の書庫スペースも要るのだ。西条
市の旧館当時は行ったことはないのだが、以前傍まで行った時地元の人から呆れる
ほど小さくてボロいと聞いたことはある。ただそれでも人口5万超(合併前)の市
にしてこの面積はないかなとも思う。いずれにせよ開架冊数とのどちらかが事実と
反すると見ていい筈だ。
 そしてもう一つ豊田市中央図書館(愛知県)が蔵書148万3千冊、開架108万4千
冊で出ているが、いくら自動車関連で潤っているとはいえ開架 100万冊はないだろ
うと豊田市中央図書館のHP開いてみたら案の定というか「蔵書101万6千冊 蔵書
能力130万冊(開架 40万冊 閉架90万冊)」となっている。蔵書数も開きがあるが、
開架冊数 100万と40万では大違い。これはどう考えても豊田図書館のHPの数字が
正解だろう。

 と、私がパラパラと見ただけで幾つも怪しい数字が目に付くのだから全体ではど
れほどになるのやら。
 統計本で数字が信用できないというのも恐ろしい話ではないか。これで定価1万
3千円するのだ(㊟私は図書館で眺めるので、買ってはいないが)東京江戸川区の
中央図書館が 開架47000だとか長崎市立図書館の開架が70万冊だとか一目見ておか
しいと思わないのだろうか。買うのがほとんど図書館で、どうせ税金で買ってるの
だから違う数字並べても文句なんか言ってこないさと、校正おろそかにしていると
いうのではないと思いたいのだが。

 矛先思わぬ方へ伸び、寄り道してしまったが、秋田へ戻ろう。先に記したように
利用者のことなど考えぬ粗雑な分類がされている。
 開架式閲覧方式を採るなら最低4次分類以上でなければ対応出来ないというのは
今では常識と言っていいだろう。それがこの規模なのに3次、図書記号も無しで済
ませているのだから「今時こんな図書館があるのか」と開いた口が塞がらない。
 これでまだ図書記号でも付されていれば、検索して五十音頼りに求める本に到達
出来るが、それも無いから利用者は無駄な時間と労力(眼力)使わされることにな
る。
 開館は78年というから最初から開架式だったと思うのだが、何を基にこんなお粗
末な分類にしたのだろう。
 
 実は3次より4次がいいというのはこの図書館もちゃんと判っていて(まあ図書
館なら当たり前)冊数の多い日本史は「 210.2」などと4次で分類されている。そ
れと 783球技は「野球・ソフトボール」「ラグビー・サッカー」「バレー・バスケ
ット」など4次に即して並べられている。
 それが判っているのなら他の冊数多い分野も、もう一段分けようと言う気にはな
らないものか。336経営管理は450~60冊、361社会学が約500冊、367女性・家族問題
には700冊余が書棚に並んでいるのだ。
 700冊の中から背表紙のタイトルだけを頼りに求める本を探すのは一苦労で、前に
書いたこともあるが、私の場合で300冊辺りを越えるといい加減眼も疲れてきて見逃
しも多くなる。ましてや視力の衰えた高齢の利用者には苦行ではないか。
 おそらく此処なら本を探しあぐねたお年寄りが途方に暮れたように書棚に向かい
合っている光景もよく見られると思うのだが、はたして館員の素早いサポートある
のだろうか。

 この分類に対し此処の館員がなんとも思わないのか不思議ではあるが、まあ公務
員組織というのはこんなものだろう。厳しい競争にさらされている民間企業なら仕
事しなければ生き残れないが、公務員組織はその世間の常識の埒外にいる。
 此処で言う「仕事をする」とは顧客のニーズを把握し期待される成果を上げると
いう意味で、民間はそれが出来なければ同業他社に顧客を奪われて倒産の憂き目に
あう処官業は成果お構いなしに前例踏襲の仕事らしきことをやっていても生延びて
いける。自然後ろ向きになる訳だ。
 これまでこの3次分類図書記号無しでやってきて何も問題はなかった。だからこ
れでいいのだという処だろうが、手抜きの附けは利用者がしっかり払わされている
ことに気付いて欲しいものである。

 更に言えば秋田市民がこの雑な分類で我慢しているのも不思議。年少の頃から慣
らされてしまって、これが普通と思っているのか。それとも不便感じつつも図書館
に(行政に)注文付けるという発想がないのだろうか。
 他の自治体の4次分類・5次分類で本を並べている、チャンとした図書館を知れ
ば、なんだこれは、なんとかしろとなる筈なのだが、声挙げる市民はいないのだろ
うか。

 繰り返しになるが3次と4次では大違い。4次以上でなければ開架の時代には対
応出来ない。それが判ってきて今日本各地の図書館で3次から4次への切り換えが
進められている。
 私が直に目にしただけでも、富山市立図書館、福島県いわき市立図書館、茨城県
土浦市立図書館、大阪府羽曳野市立図書館などが切り換え中であった。ここから推
測するに全国規模で見れば相当数の図書館が3次から4次へ移行中であろう。
 富山市立図書館では少し話を聞いたが、新着本から順次4次にしていくので時間
は要するがさほど大変な作業ではないとのことであった。
 この流れでいくと遠からず4次分類が最低基準という日が来ると思う。3次で止
まっている図書館は先行する館を見習って、労を厭わず4次への道へ踏み出しても
らいたいものである。

 さてここで私事を挟ませていただくのだが、私がHP作成を念頭に図書館へ行く
ようになったのは2008年春からのことで、私としては訪問時の印象、感想をHPに
綴れればそれでよく、殊更図書館サイドに取材めいたことをする気もなかった。
 むしろ存在目立たぬように音も無く入って行って(館員と視線が合えば挨拶くら
いするが)暫く過ごし、また会釈の一つも残してすうっと出てくる、というのを旨
としたものだ。其処の住民ではないという遠慮もあるし、図書館ネタに何か書こう
としているなど気取られたくないというのもある。
 稀に館員と接触することあっても、資料の場所を尋ねるか、コピー頼むくらいな
ものである。
 
 しかし旅の間に間に図書館巡り、などということを暫く続けるうち考えも変わっ
てきて、少しは質問もし答を得て帰るようにもなった。ラベルに付された見慣れぬ
記号の意味とか特にコーナーが設けられているテーマとその地の関わりについてな
どであったか。
 それと幾つもの図書館訪ねるうち「これはいかがなものか」という事例を少なか
らず目にするようになり、そういう時は一言残してくる様にもなった。
 最初は後でHPに書くのだからとスルーだったが、文書作成が思うように進まず
公開いつのことやら判らぬようになったきたので、速戦主義へと移行した。
 ただ、だからといって館員摑まえて「3次分類など利用者不在ではないか」とか
「カウンターで無駄話する暇があるなら棚に手を入れたらどうか、乱雑になってる
じゃないか」などと直接言うほど心臓も強くない。
 そこで活用するのが御意見箱で、置いてる館とそうでない館があるのだが、あれ
ば簡単ながら気に掛かる点を指摘してくるようにしている。

 秋田市中央図書館にもご意見箱があったので、この時投稿してきた。内容は当然
「3次分類など利用者不在、4次へ移行すべきではないか」というものだが、此処
は図書記号も省いているだけにやや調子は強かったかもしれない。
 備え付けの用紙下部には住所氏名の欄がある。わざわざ個人情報を書かせるから
には個別に回答あるのだろう。必須ではないが、返事くれるのであれば貰おうかと
隠さず記入しておいた。
 投函すればもうその日の宿泊地である大曲へ向かわなければ行けない時間となっ
たので図書館後にした。これが9月末である。
 
 話は1月後へと移る。その後明徳館からは何の音沙汰も無いままだが、特に回答
を待ち詫びていた訳でもない。たまに「そういえば返事来ないな」と思い出す程度
である。秋田市民ではないから無視されたかなとも思うし、来れば儲けものといっ
た処だったか。
 そして10月末の午前中だったが、ふと明徳館思い出し「そろそろ1月か、もう待
つだけ無駄かな」などと考えるうち「明徳館に訊くのが早い」との結論に行き当た
った。この時点では個別回答の有る無しを確認すればよしとの思いである。

 明徳館へ電話すれば、先ず女性が出た。名乗って、先般訪ねた折提言して帰った
のだがその回答が来るか来ないか知りたいので電話した旨伝えると「分類について
指摘していただいた方ですか?」という質問が返ってきた。これは想定外のことで
私の名前で直ぐ反応するということは、あるいは私の提言内部ミーティングで取り
上げられたりしたのだろうか。
 そうだと答えると「お待ちください」と、少し間があって男性と代わった。名乗
らないので尋ねると主席主査ということであった。そして、慌ただしくといった感
じで私の提言に関する図書館側の見解を述べ始めた。
 迂闊といえば迂闊なのだが、私は回答が来るのかどうかを知りたくて電話したの
で、いきなり3次分類で十分か問題有りかといったやり取りが始まるとは全く考え
ていなかったし、その用意も無く、少なからず慌てた。
 もっとも先方は私以上に泡食った様で、些かパニック気味の応接ではあった。

 回答は〈やりません、変えません〉の連発で始まった。〈我々は不都合を感じて
いない。市民から苦情も無い。むしろ見易くていいと好評である〉と言う。見易い
とは分類記号が数字3つだけなのでラベルが小さくて済み、著者名とかの情報が隠
れないのがいいということらしいが、4次にしたからといって極端に大きなラベル
になる訳でなし子供騙しみたいなことを言うものだと思うしかない。因みに日本史
は既に4次だが、少し横長になっただけで、ほとんど変わらぬ大きさのラベルだっ
たと記憶している。
 あの分類では利用者大変だろうと突いてみたが、意に介さぬといった風である。
 まあ理屈はともかく、何と言われようが現状は維持するという強い意志だけは伝
わってくる。根底にあるのは、何があっても仕事は増やさないという公務員の絶対
命題か。
 また3次分類で十分と力説するので「では何故日本史は4次にしているのか?
矛盾ではないか」と指摘したら、さすがに痛い処だったらしくうろたえ気味ではあ
ったが苦笑いで誤魔化す。
 暫くやり取りは続いたが、3次と4次ではどちらがいいかなど論じるまでも無い
ことで、それは向こうもよく判っていて、要は4次に深化する気があるか否かだが
その点は旧来墨守で凝り固まっている。
 私も提言はしたが、何が何でも説得しようとまでは考えてないし、秋田市民でな
い身で何処まで突っ込んでいいものやら手探り状態だったから話は同じ処を回るだ
けである。 
 秋田市民は延にすれば膨大な時間無駄にさせられている、とも指摘したがさて向
こうにどれほど響いているやら。
 最後に「住所氏名書かせるのは回答のためではなく、うるさいことを言ってくる
人間をブラックリストに載せるためか」と皮肉を込めて訊いてみたら、苦笑いしつ
つももちろん否定する。ま、私の想像では以前は真面目に個別回答もしていたが、
いつの頃からか手抜きするようになったのだろう。

 かくして成果ないままやり取りも終了。電話1本で劇的に変わるなどとは最初か
ら思ってないから別に落胆も無いが、有意義な話し合いが出来たという満足感から
は程遠い。結局残ったのは公務員不信か。
 更なる方策考えもするが、そうそう秋田市に関わる訳にもいかないし、後はこの
HP覗いた秋田市民に委ねたい。
 それにしても秋田市民、自分達の図書館の分類配架について、どう思っているの
だろうか。知りたいものである。

                   
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