江東区立古石場図書館
                    漂着日     2003年より複数回最新は2009年6月

 東京23区の東部、江東深川エリアの運河に囲まれた一角にある下町の図書館。ただし
木場と門前仲町の中間で、場所的にはまぎれもなく下町だが上部が住宅、下部が文化セ
ンターという高層ビルの中にあり、オートドアにフローリングと垢ぬけた造りになって
いるので、利用者別にすれば下町イメージさせるものは特にない。
 実は私は隣の墨田区在住で、我が家からこの図書館までは自転車で約30分。「旅の間
に間に図書館を」と謳いながら皮切り地元とあっては「偽装表示」と言われかねまじき
ところだが、まあ日常でも旅気分でふわふわ生きている人間なので、日帰りの旅をして
いるつもりだと言い逃れておこう。 

 この図書館を初めて訪れたのは2003年。夏ぐらいだったろうか。江東区の他館(多分
亀戸か城東)で矢作俊彦作品を検索したところ古石場に「ライオンを夢見る」という著
作があることに気がつき借りにきたのだ。
 お隣さんということで江東区の図書館もよく利用させてもらうから古石場図書館の開
設は知っていたが(江東区資料によれば開館は1997年)私は手当たり次第に全館回ろう
というほどのマニアでもないので、それまでは自転車ですぐ近くを通っても立ち寄るこ
とはなかった。どうも「古石場」という響きにどこか冴えないものを感じ、「行くほど
でもないだろう」と独り決めしていた節がある。
 その日は新聞、雑誌など読み、館内も一巡りして暫く過ごした後、矢作作品借りて帰
ったのだが、其の折小説だと思い込んでいたのでその筋の棚に行ったところ見当たらず、
検索端末も塞がっていて直ぐ空きそうもなかったのでカウンターで尋ねた。
 図書館向きだなあと思わせる大人しやかな女性が調べてくれたのだが、その対応には
利用者のことをよく考えているというか心優しさ感じられ、気分良くして帰った記憶が
ある。
 因みに件の本はヘミングウェー素材にした評伝と紀行文からなるノンフィクションだ
ったので英米文学の棚に並んでいた。

 
以後しばしば古石場図書訪ねるようになる。
初回のカウンター対応が心に残ったということもあるが、一度来てみてなかなかいい
図書館だと気がついたからでもある。「行くほどでもない」などと勝手に思い込んで
いたのは申し訳ないことだった。
 行き出せば弾みがつき、2003年から2005年に掛けてはよく利用させてもらった。ま
あ家から少し離れているので自転車散歩兼ねて出掛けて行き、多い時で月3、4回程
度だったか。
 私の好みである書棚の側板背にするスツールに座り、新聞、週刊誌読み、興味持った
本を棚から抜いてきてはパラパラ眺めたりして時送ったものだ。
 
 いつしかお気に入りの図書館になってた訳だが、何が良かったかといえば、一番は
館内流れる空気、つまり雰囲気ということになるか。大規模館ではないが、地域の図
書館としてはまずまずの広さがあり、利用者の出入りも激しくないので比較的静か。
私としては落ち着いて過ごすことが出来、何よりであった。
 それと印象に残っているのが館員の女性達で、10人以上いたと思うのだが、総体に
優しく仕事振りにも前向きなもの感じさせ、それがまたこの図書館にいい空気もたら
していた。
 背景として、これは後に知ったのだが2002年から2003年に掛け江東区の図書館に業
務委託制が導入されたということがある(古石場は03年から)。古石場のある深川地
区はNという人材派遣企業が受託していたのだが、当時私が見ていた人達はどうもN
社の一期生ということになるみたいで、草創期ゆえ意気込みも違っていたという事情
もあるようだ。
 ただ同じ条件の下、他館では感じなかった好印象を古石場の人達に感じたことは事
実で、なんらかの要因があるのだと思う。
 リーダーの女性がしっかり基本を教え、意識を高める工夫こらした成果かな、とい
うのが私の見立てだが、これは関係者に取材したわけでもなく、当時見たいくつかの
場面繋ぎ合わせた推測に過ぎない。

 さて思い出話はひとまず置き、館内一巡りしてみよう。
 先に記したが古石場文化センターの4階部分占有し、ワンフロアー完結型。L字形
をしている。Lの字の内角の辺りに出入り口があり、入れば正面に貸出カウンター、
その左手一帯が新聞雑誌コーナーでL字の外角部に相当する。右(Lの縦棒方向)に
進めば児童書のエリア、左へ回り込むと奥に向け(Lの横棒方向)いわゆる一般向け
の書棚が並んでいる。目測だが一般エリアで11m幅の奥行25、6mという処か。
 
 座席は一般エリアで書棚の谷間に所々置かれているテーブル席が28、窓際のカウン
ター席が12、それと私の好きな書架の側板背にするスツールが12で計52席ということ
になる。
 ただ江東区資料では「閲覧席(40席)」となっていて、どうやらスツール席はおま
けというか日蔭者の扱いであるらしい。まあ座ってる人間がそういう扱い受ける訳で
はないから、それを不満に思っているわけではない。
 それより気になるのは新聞雑誌コーナー(12席ある)の椅子が背もたれのないベン
チという点で、ここはやはり背もたれのあるソファー型であるべきだと思う。お年寄
りの利用も多いのだ。座り心地のいい、くつろげる席で過ごしてもらいたい、という
発想は出ないものか。居眠り対策もあるのだろうが、それはそれで注意すればいいこ
と。お年寄りが固いベンチで前かがみになって新聞読んでいるのを目にする度、非人
道的という言葉すら思い浮かべてしまう。
 因みに私はこの席はまず使わない。新聞でも雑誌でも好みのスツール席へ持って行
って読んでいる。見れば同じようにテーブル席やカウンター席で読んでいる人も多く
ベンチの利用率あまり高くないのではと思う。

 言うまでもないことだが、図書館の資料(本)は意味もなく好き勝手に並べられて
いるのではなく、一定の法則の下、整理、分類され棚に収まっている。日本では国立
国会図書館など一部を除き、大多数の図書館で「日本十進分類法」という方式が採用
され古石場も例外ではない。
 ここで十進分類表について説明を始めると、このページいつまで経っても終わらな
くなってしまうし、先刻承知という方も多いと思うので割愛したいところではあるが、
それ何?という人のためポイントだけ示しておこう。因みに、私は図書館について体
系的に勉強したことも、図書館で働いたこともないので、以下の説明は読んだり聞い
たりしたことの受け売りである。

 ・図書館資料の分類法であり、書かれている内容(主題)で分ける
 ・まず大きく10に分け、更に各項目を10に分けと大から小へ主題を細分化していく
 ・一次区分を「類」、二次区分を「綱」、三次を「目」と呼び本表で6次区分まで
  あるが通常目にするのは四次、五次が多い
 ・三次までは正数で表示。四次以下は「547.1」のように小数点で区切る
 ・「類」は次の通り

   0類 総記       図書・百科事典・叢書・ジャーナリズム
   1類 哲学       哲学・心理学・倫理学・宗教
   2類 歴史       歴史・伝記・地理
   3類 社会科学     政治・法律・経済・統計・社会・教育・風俗
   4類 自然科学     数学・理学・医学
   5類 技術・工学    工学・工業・家政学
   6類 産業       農林水産業・商業・運輸・通信
   7類 芸術       美術・音楽・演劇・スポーツ・諸芸・娯楽
   8類 言語
   9類 文学

 十進分類表に則っていて、公共図書館だからそんなに突飛なこともしないので、
規模に差はあれ何処の図書館も棚の構成にそれほどの違いはないはずだが、見れば
分類の精粗とか本を探し易くするための工夫とか、これが結構各館それぞれで、
見識や熱意もうかがえ興味深いところである。
 「棚を見れば、その図書館が分かる」そんな言葉もあったか。

 そこで古石場図書館だが、分類は「188.5」「210.5」と4次区分までのいわゆる
4ケタ分類(一部5ケタもある)。利用者の立場から言えば3ケタでは粗く、求める
資料にたどり着くのに一苦労するが、4ケタならまずまず。
「314.7カ」とか著者名のアタマ字などから採ったカナ(図書記号というらしい)を
組み合わせ、更に五十音順に並べていく方式もあるが、ここでは 289伝記など一部
を除き数字だけとシンプルな表記になっている。
 私も一般書を著者名で並べても大した意味はなく、むしろ大きな版型の本に小型本
の薄いのが挟まれたりすると完全に隠れてしまうなど不都合もあるので、数字だけの
分類がいいと思う。
 ただし小説は別。これはもう作者で選ぶものだけに、逆に数字はなくても構わない。
古石場も作者名の五十音順に並び、司馬遼太郎が「シハ」丸谷才一が「マル」という
ようにカナ2文字だけで表記されている。
 伝記も福沢諭吉が「289.1フ(実際のラベルは2段組み)」というように分類番号と
被伝者名組み合わせた五十音順の並び。ここらはまあ定石通りという処だろう。

 棚の構成はオーソドックスなもの。と書いても私に適正な分野別の割合や資料につ
いての定見があるわけではない。これまで見てきた図書館と比べ、大きく違う処はな
いと感じただけのことである。
 冒険も破綻もないといった感じで棚は続いている。
 強いて言えば、他館に比べ映画の本が多いが、これは日本映画界の巨匠といわれる
小津安二郎がこの近くで生まれ育ったことによることから、1Fに資料展示室があり、
またホールで名作の上映会も開かれと、古石場文化センター自体が映画に肩入れして
いるのに歩調を合わせたものらしい。
 棚の本は波打ったりデコボコしたりすることなく何時行ってもきれいに整理されて
いる。そういった点にも気を配り、掛けられる人手もあるということだろう。
 それと「見出し」が判りやすくていいという点も書いておこう。ここで言う「見出
し」とは書棚に並んだ本の項目の変わり目に差し込まれている札などのことで、大抵
は分類番号と「憲法」「経営管理」など項目名が記されているのだが、あれば目的の
資料にスムーズに到達でき、ないと書架の間を行ったり来たりする破目になる(いつ
でも誰でもそうだというのではないが)。またこれまでの私の見聞基にすれば、いい
図書館だなあと思わせる館は見出しも見易くて数も多く、熱意疑わせる館ではその逆
という傾向も見られるので、結構注目している。
 古石場は青いプラスチック板に黒字とくっきりしたもの。数も社会科学の300番台で
八十数枚と要所に差し込まれ、さすがと思わせる。
 1つ注文するとすれば、版型の大きな本が隣に来たりすると見出しが隠れてしまう
ので、そうならない為の配架の工夫。埋もれた看板では意味を成さず、利用者が不便
かこつことになる。

 実は古石場図書館には最近ご無沙汰で、今回半年振りくらいの来訪であった。雰囲
気どうだろうかと案じもしたが、それは杞憂で、以前と変わらず心地よいひと時を過
ごすことが出来た。館員の皆さんには感謝、ですな。
 ここは今もN社(社名変更して現在は違う名前になっている)が受託していて、ス
タッフにはもう何年にも渡り、継続勤務している人もいる。かなりのスキルを持って
いるのではと見ているのだが、江東区では各館に4、5名(中央館である江東図書館は
13名)いる区職員が選書、徐本、レファレンスなどの頭脳部分担当し、委託会社スタ
ッフがカウンター業務、館内整理等現場作業を行なうという二層構造を取っていて、
出来ることが限定されているのは勿体ないことだ。
 
 図書館の業務委託そのものに関しても、種々問題点指摘する文書なども目にし、私
自身あるべき姿考えたりもするのだが、それを今書き出すと、このページ果てしなく
なってしまうし、経緯、実態などもう少し調べたい点もあるので、ここではごく軽く
触れる程度にしたい。
 尚以下は江東区限定の話ではない。

 まず、祭日など開館日が増え、開館時間も延長され、それでいて経費も人員も削減
されるというマジックの種を派遣会社スタッフの劣悪な待遇に押し付けるといった現
行の業務委託には賛成出来るものではない。悪条件下でも頑張っている人もいるだろ
うが、遠からず(もう既にかもしれないが)「人」はいても「図書館員」はいないと
いう事態になり、結局は利用者にしわ寄せが来てしまう。

 かといって、給与のバカ高い公務員を並べるというのも有り得ない。私は公共施設
だから公務員でという発想は持たないし、ましてや今はほとんどの自治体で図書館員
を専門職とする制度もないそうで、図書館に興味もなければスキルもない事務職が2、
3年周期で回ってきては気のない仕事振りで館内の空気澱ませ、また移動していくの
なら、やる気感じられ、また愛想もいい分委託スタッフの方がましではないか。

 となると、中間的な形として、かつてのように非常勤を多数入れてということにな
るが、確かに委託スタッフよりはましな待遇で、勤続年数も長い傾向にあるからそれ
なりのスキル持つ人が揃うという利点はある。
 ただこれも低所得の不安定就労という面は否めず、望ましい姿であるとはとても言
えない。

 生活できるだけの給与が得られ、安定的に働け、専門職として成長していける。
 その実現をいかなる形態に求めるのか。
 果たしてそれは可能なのか。
 今暫く考えてみたい。

 さて図書館のあるべき姿など考えるうち時は過ぎ、ボチボチ帰らなければいけない
時間となった。久し振りに来た記念という訳ではないが1冊借りて帰ることにし、選
んだ本を持ってカウンターへ行くと、図書館向きだなあと思わせる女性がいて手続き
してくれた。手際良く、それでいて潤いも感じさせる気持ちいい仕事ぶりである。
 本とカード受け取り、バーコードをスキャンして返却日押された栞挟んで渡すだけ
のことだから、誰がやっても同じと思われがちだが、優秀な人とそうでないのと、違
いはしっかり表われるものである。今日は言うところなし。
 気分良くして帰るか。

 
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