米子市立図書館
漂着日 2008年3月
中国山地の山懐にある旧出雲街道の宿場町を散策の後、伯備線に揺られ米子へ着い
たのは午後もまだ早い時間だった。3月の初め、山間ではそこかしこに残っていた雪
も、ここでは全く見られない。
米子は広く知られているように、交通の要衝にして山陰きっての商業都市。嘗ては
「山陰の大阪」とも言われていたという。
ただ私の近年のイメージでは「本のまち」。「本の学校」であり「本の国体」「ブ
ックインとっとり」そして「朝の読書運動」。何か米子には本が溢れているイメージ
がある。
「本のまち」の図書館、如何なるものであろうか。楽しみにしてきた。
直行したい思いもあるが、先ずは米子散歩。
私の旅のテーマは、知らない街を歩き、知らない町で泊まってくる。そして時間が
あれば図書館にも寄るというもの。時には図書館優先の場合もあるが、今日は街歩き
から。
山陰には何度となく来ているが、米子は精々駅前歩く程度の素通りばかり。日本を
彷徨い始めた20代前半頃には隣接する西伯町に泊まったことがあり、確か米子駅前か
らバスで行ったはずなので、その折少しは米子の街を歩いてるかもしれないが、あま
りに遠い昔のことで、全く記憶にはない。
今晩の予約入れてる駅前のビジネスホテルに荷物預かってもらい、身軽になって、
街へと繰り出す。取りあえずの行き先は、米子駅に掲示された地図を眺めている内、
境線で3つ目の後藤駅に車両基地があるのに気が付き、鉄道で旅するのは好きでも車
両には興味ない人間なのだが、無数の引き込み線が書き込まれている様になんとなく
心が動き、其処を目指すことにした。
ただし、これまでの例から言って途中で興味引くものが現れればあっさり方向転換
すると思うので、後藤駅へ行き着くかどうかは判らない。
駅前通りから右折してサンロードというアーケード街に入り、アーケードが連なる
ままに今度は左折し進んでいく。駅にも近く、米子きっての商店街なのだろうが御多
分に漏れずシャッター下ろした店が多く、通りも閑散としている。
と、行く手に今井書店の看板。本通店があった。帰りに寄ろうかと思いつつ過ぎる。
今井書店は明治初期に米子で創業され、現在鳥取、島根両県で二十数店舗を展開する
山陰最大の書店チェーンで、本屋さんとしての評価も高いようだが、もう一つ地域文
化への貢献でもつとに名高く、先に名前を出した「本の学校」の運営母体でもある。
私が知る処を簡単に記せば、1972年に今井書店創業百年を迎えた時「百年の長きに
渡って続けてこられたのも地域の恩恵あってのこと」と思いを新たにした五代目社長
が以後児童文庫の開設、シンポジウム、講演会の開催、雑誌の刊行など地域文化振興
の活動を展開し、その活動の輪が1987年3万点余の地方出版物を集めた「ブックイン
とっとり'87日本の出版文化展ー本の国体ー」へと繋がっていく。
「本の学校」の開設は1995年。「出版業界人の育成と読書を根底とした生涯学習の
場の提供」を目標に掲げ、山陰の地から光彩放っている。ここで学ぶため出版社員、
書店員から一般の読書好きまで毎年多くの人が米子へとやって来るそうである。
私も今回、本の学校見学ということも考えたのだが、場所が少し市街地から離れて
いるのと必ずしもフラリと行って見てくればいいという施設でもなさそうなので次の
機会を待つことにした。
さあ多少遠回りはしたが目標とした車両基地へも到達。そこは操車場とかではなく
JR西日本の車両工場であった。内部は巨大な建屋に包み込まれ窺い知れない。広大
な敷地に線路が張り巡らされ、多数の車両が蝟集している様が遠目にでも見られるの
かなとの想像もあっただけにチョッとガッカリという処ではあるが、まあここが目的
というよりここまで街を歩いてくることが主眼なのでさほどでもない。
その後後藤駅にも寄り「ここらで折り返すか」と踵返しかけた時、線路の向こうに
大型のショッピングセンター(SC)があるのが目に止まった。商店街を歩くのも好
きだが、こういう地場のスーパーにどんなテナントが入っているかにも興味があるの
で、其処を折り返し点と定め、行ってみることにした。
線路沿いに少し歩き、踏切を越えれば到着。ホープタウンという広い敷地持つ大型
SCで、結構年期は入っていそうだ。
軽く店内を一巡り。店舗としての最上階(3階だったか)へ上がっていくと、オー
プンスペースに衝立で囲った展示コーナーがあった。寄ってみればそれはこのホープ
タウンというSCの計画段階から今日に至るまでの歩みを紹介するもので、新聞の拡
大コピーや説明の文書を何枚も貼り出しているのだが、これが中々面白く、引き込ま
れて熱心に読んでしまった。 メモも取ってないので、記憶を頼りに簡単に記すしか
ないのだが、大略は以下のようなものであった。
1970年代初め、これからは自動車で買い物に来るような郊外型スーパーの時代と思
い至った本通り商店街を本拠に手広く商うK社長が大型SC出店を計画、後藤駅傍に
土地も得て実現へと邁進した。しかし地元の反対や当時は大型商業施設の出店を規制
する法律もあり計画は遅々として進まず、資金繰りにも苦しむようになる。更にK社
長の死が追い打ちを掛け、計画は挫折の危機を迎える。が、後継者の頑張りや、銀行
の協力もあり(更に一山二山あったようなことが書いてあった気がするが)計画から
約10年、1982年に開店の時を迎えるに至った。
開業以後も平坦な道程で今日までとはいかず、90年代単独経営の難しさから大手ス
ーパーのニチイマイカルグループ入りし、ホープタウンから米子サティと名前も変え
て営業。と、今度はマイカルが経営破綻。企業存亡の大波に見舞われたがなんとか持
ち堪え、マイカルグループから離脱。再び単独経営の道を選び、ホープタウンいう名
も復活させ現在に至る。
と、こう簡単に記すとそれほどでもないようだが、実際の展示は新聞記事を多用し
ていることもあり、臨場感たっぷりで波乱万丈の様がビシビシ伝わってくるものであ
った。
「『人に歴史あり』とは言うけれど、店舗にもこんな歴史があるんだなあ」と、考
えさせられ、同時にさっきまでは知らなかったホープタウンというスーパーに親しみ
感じていていた。
少しして立ち去る際、ホープタウン振り返れば、来た時とはまるで違った店舗のよ
うに見える。
この分だと、今回の米子における一番の思い出、ホープタウンとの遭遇ということに
なるかもしれない。
さあ、図書館漂流に行き着かぬまま前段の米子漂流が長くなってしまったが、折り
返して米子中心部に戻り、今井書店本通店(この支店は現在なくなっている)にも寄
って、夕暮れには未だ充分時間がある頃米子市立図書館にたどり着いた。
米子駅から徒歩で5、6分といった処か。市役所など公共機関が集まった地域にあり
市立美術館と同じ敷地に向かい合って建っている。2階建てでそう大きくはないが、
外装はレンガ模したタイル張りで中々にシックなたたずまいをしている。
新しく見えるので、近年新築されたのかと思ったが、玄関脇の定礎見れば1978年と
なっていて、どうやら「改築物件」のようである。
正面ほぼ真ん中の位置にある玄関から図書室に入ると、眼の前に2階へ通じる階段。
1階は広いワンルームなのだが、この階段で二分される形となっている。外観整えら
れているので、中も綺麗にされているのかと思ったが、予算の都合なのだろう内装は
手つかずのようで、開館時そのままとでもいったレトロ感にあふれている。
入口背にして左が一般エリア。カウンターもここにある。右は手前に新聞と雑誌の
コーナー、中間にビジネス支援や暮らし、スポーツなど一般書の棚があり奥に児童書
のエリアが設けられている。広さは目測なのであまり自信はないが1階全体で20mx
20m位だろうか(事務室などは含まず)。
席は雑誌コーナー側に8人掛けテーブル2卓や小卓、一般エリアに小机、書架の側
板背にした椅子などでざっと40ほど(児童エリアは含まず)。スペース的にそれほ
ど余裕はないのだが、配置工夫するなどして、もう少し増やせばいいのにとは思う。
一般エリアは壁面とフロアに並べられた1.8m高6段メインの書棚の組み合わせ。昔
ながらのとでも言うか、書棚の間隔もあまりないので、気持ち暗いかなと思わせる。
並んでいる本は全体に古め、数も少なめ。商都ゆえか自然科学系寂しく見える。棚の
スペースには限りがあるから書庫にはもっと入っているのかもしれないが、棚を見る
限りでは資料費相当窮屈ではないかと想像される。
そして分類だが「332ウチ」といった3ケタカナ2文字の組み合わせ。カナは主と
して著者名からで、概ね50音順には並べられている。
「ウーム、本のまちが3ケタか」と軽く嘆息。
利用者の立場から言って、3ケタと4ケタは大違い。小さい図書館なら3ケタでも
いいが、ある程度以上の規模なら4ケタ以上であるべし、というのが私の持論。蔵書
10万冊を超えるような館で3ケタに遭遇したりすると「利用者のことを考えているの
だろうか?」と怒りすら覚えることもある。
210日本史を例にとると、3ケタなら210日本史で終わり。ここもワンカテゴリーに
ざっと900冊があらゆる時代をゴチャ混ぜにして並んでいる。これが4けただと210.1
通史、210.2原始、210.3古代以下中世、近世、近代ときて210.7現代まで時代区分され
るので目的の本も探し易い訳で、この違いは大きい。
書名、著者名がはっきりした特定の本ならカナを頼りに行きつけるが、日本史で調
べたい時代に即した本を探す場合ではここだと900冊を端から端まで見ないといけない
訳で、その時間と労力(視力?)馬鹿にならないものがある。また私の経験から言う
と細い背表紙の書名を追ってくというのも中々大変で、300冊辺り超えると注意力も落
ちて見落としも多くなり、手間を掛けても成果得られないことになってしまう。
そもそも3ケタ分類など閉架式の亡霊のようなものではないか。――それを言えば、
十進分類表自体閉架式を想定して考えられたものだとの説もあるが。ただ4ケタなら
現在ほとんどの図書館で採っている開架式に対応できるが3ケタでは無理。3ケタ分
類の館は手抜きのツケを利用者に回しているだけである。――
昔公共図書館の多くは閉架式図書閲覧方式とか言って、閲覧室と書架は分離され、
利用者は自由に本を手に取ることが出来なかった。本を手にするには目録で調べ、閲
覧票あるいは請求票などと呼ばれた用紙に書名、分類記号(請求記号ともいう)など
を書き込んで係員に渡し、棚から持ってきてもらうという「儀式」を必要とした。こ
こでは決まった人間が指定された特定の本を扱う訳で、記号が188カとなっていれば
その棚へ直行して狭い範囲から抜いてくればよく、棚全体を見る必要もなかった。
謂わば倉庫員による商品出庫作業だった訳だ。
これではあまりに不便ということで、1960年代後半頃からか書庫と閲覧室との仕切
りを取り除き、利用者が自由に書架の前に立ち、本を選べる開架式へと移行する館が
増え、新たに建設される図書館も開架式が当たり前となった。
閲覧のシステムが変わった訳だから、そこで利用者の視点取り入れ、4ケタに進化
させるなり、開架式に適応した新しい分類配架方式を編み出すべきだったのだが、知
恵が回らなかったか、余裕が無かったか、3ケタ分類が生き残り、あまつさえ新設の
館がそれに習って蔓延ったのは日本の図書館と利用者にとり不幸なことであったと思
う。
3ケタから4けたへ。たとえば富山市立図書館のように切り換えている館もあるの
だから――訊いた処それほど大変な作業でもないということであった――日本中の図
書館が早く4ケタ以上へと深化遂げることを希って止まない。
さて閉架の亡霊の話から米子市立図書館へ戻ろう。
見ていくと3ケタのままだが 291地理は地方別に、783球技は野球、ゴルフ、サッ
カーだけではあるが量のある種目は別枠になっている。もう一段階の分類が利用者ニ
ーズに合うことは分かっているのだ。ま、図書館員なら当然だろう。
それなら全館、せめて歴史や社会など量の多い分野は手間を惜しまず4次分類すれ
ばいいのに、と思うのだが。
社会科学系の項目の幾つかには「ア」とか「カ」などと書かれた見出しの札が本の
間に差し込まれている。ア行はここから始まります。カ行はここからと示してくれて
いるのだが、さほど意味あるとは思えない。
思うに、3次分類では利用者に不親切というのは判っているのだが、4次分類に踏
み込む度胸はない。そこで手軽に出来るアカサタナの札を付けることで、何かやって
ますというポーズを見せてお茶を濁しているのだろう。などと書くと、意地悪な見方
をしていると非難浴びそうではあるが、努力すべき方向を間違っているんじゃないか
との思いは拭えない。
2階へと上がっていけば廊下挟んで片側に大会議室。広い。百4、50席はあるだろ
うか。この日は学習室として開放されていて、高校生で賑わっている。
もう一方には参考図書・郷土資料室。鍵の掛かるガラス戸付きの書棚も並びレトロ
感漂っている。窓際にはカウンター席があり、レファレンスに備えてか年配の館員も
詰めている。「昔こんな図書館に行ったことあるなあ」と思わせる、懐かしい眺めで
もあった。
再び下に降りて小説の棚見ていると、ふとあることに気がついた。司馬遼太郎がい
ない。勿論著作が並んでないという意味だが、作家別50音順になっている「シ」の処
には1冊も見えない。司馬さん亡くなって12年。当然新作は出てないが、あの国民的
作家がゼロはないだろう。ウチの近所の館には全集含めてではあるが、まだ100冊以上
は並んでいる。まあきっと別格扱いで別置きされてるんだろうと、文学関係の区画を
グルグル回ってみたが見つからない。 「あきらめるか」とも思ったが、やはり謎を
残して帰るのも厭なので、更に捜索し漸く司馬作品へと到達した。
其処は個人全集が並んでいて、小説の棚とは背中合わせの位置だが、入口方面へ大
きく動いて回り込まなければならず、まあ別区画(どちらかといえば児童書コーナー)
ともいえ盲点になっていた。
芥川、志賀、井上靖など大家から須賀敦子、宮尾登美子といった全集が並んでいる
のだが、その中で司馬遼太郎と松本清張だけが単行本も此処に置かれていた。
「珍しい配架の仕方だな」とは思ったが、それはいいとして、そこにある司馬の単
行本の状態のひどさには衝撃を受けた。とにかくどれもボロッボロッなのだ。これま
で数多くの図書館訪ねたが、これほど酷いのは見たことがない。他館でなら棚に立っ
ているのはもちろん「もう処分するので自由に持って行って下さい」というリサイク
ル本でもまず見られない代物である。
司馬作品の貸出頻度が高く、新規の購入も難しいのでこの状態なのだろうが、なん
とも寒々とした光景で「本のまち」のイメージ音たてて崩れていくのを感じる。
図書館側にしても、こういう状態の本を並べるのは苦渋の選択かもしれないが、書
店、取次ルートで新本が入手出来ないなら寄贈を求めるなりすればいいのに。
司馬作品は持ってる人も多いから、教育委員会関係に声掛けるだけでも状態のいい本
が数十冊は集まるのではないかと思うのだが。
それにしても米子市民は、なんとかしろと声上げないのだろうか。
後印象に残ったのは、当日の新聞を挟んでラックに掛けるバインダーが鉄製の重厚
な物だったこと。今は何処も、軽く扱い易いアルミ製などを使っているのだが、開館
当時からのを使い続けているようで珍しい。丈も長く、ズシリと来る重さがある。
稀に来る身には歴史感じられ、悪くはないが、高齢の方などは扱うの大変だろうな。
このバインダーが象徴的と言えば飛躍しすぎかもしれないが、古く、重く、フット
ワークに欠ける、そんな感想抱かせた「本のまち」の図書館だった。
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