長崎市立図書館
漂着日 2008年3月
長崎入りと共に暖かくなり、ぐんと春めいてきた。
浦上天主堂脇にある今回の宿カトリックセンター(キリスト教徒ではないが
安く泊まれるので利用させてもらった。)を出て、朝の長崎の街を歩いて行く。
好天。柔らかな陽射しが心地いい。何だろう?風に乗り甘い香りが運ばれてく
る。今日ものどかな一日になりそうな気配ではある。
道なりに坂を下り、先ず平和公園、原爆落下中心地を訪問。これは観光ではな
く、長崎へ来る度行なっている、まあ挨拶である。
その後浜口町から銭座町、宝町と電鉄(長崎電気軌道)の路面電車走る道を歩い
て長崎駅へ。昨夕長崎入りした時は浦上で降りたので、約7年振りの対面となるか。
前回も感じていたが、一段とけばけばしさ増し、風情も旅情もあったもんじゃない。
駅と言うより商業施設に電車の乗り場がある、と言った方が正確か。鉄道事業の他
にも収益求めたいという思惑分からないでもないが、これはやり過ぎだろう。
中央駅はその都市のシンボルだし、ましてや長崎のようなターミナルは、それ
相応の風格漂わせてしかるべきと思う。
これでは長崎そのものが安っぽく見えてしまうではないか。
午前から午後にかけては長崎の街歩き、午後から夕方は新設された長崎市立図書
館で過ごし、夜は今回長崎へ来た目的の一つでもある地元の方から私が興味を持っ
ている事(図書館ではない)について話を伺い、そしてカトリックセンターにもう
一泊というのが今日の組み立てで、まあ坦々と過ぎていくだろう。
長崎散歩は宿舎出たときから始まっているとも言えるのだが、長崎駅前から改め
てスタート。まず駅前のホテル、商店固まっている一画懐かしさに浸りながら一巡
りした後、長崎港へ向かうことにした。五島列島などへの航路がある長崎大波止タ
ーミナルの2Fロビーからは長崎港が一望出来、私のお気に入りかつお奨めのポイ
ント。缶コーヒーなど飲みながら、出船入船の様子眺めていると、旅ごころとでも
いったものが満たされていくのを感じる。
長崎へはもう7、8回は来て、その都度結構歩き回っているので市街なら地図無
しでも迷うことはない。と思ってたら、いきなり迷った。路面電車が長崎駅前から
二股に分かれているのを失念していて、方向違いに歩いてしまい、電車道越えたら
海岸通り、のはずが官庁街に立っていた。「これはいかに」と一瞬途方に暮れたが
直ぐに勘違いを悟り「方角的には此方で間違いないはず」と、広い通りを右折して
進む。と、暫く行った右手に全面ガラス張りの威容を誇る巨大な建築物が出現。
長崎市立図書館がここにあった。大体の場所は調べてあったのだが、想定外の方
向から来たこともあり、ここで出くわすとは思わなかった。「早く来てよ」と私を
呼び寄せたのか。
この図書館の開館は今年1月5日。それを報じる新聞各社の記事は東京の紙面に
も載っていた。主たる内容は、全国47都道府県の県庁所在地で唯一市立図書館の無
かった長崎市にようやく開設――といったもので、それを読み「え、長崎には市立
図書館がなかったの」と何度も行きながら初めて知る事実に驚くと共に「40万都市
で何故これまで出来なかったんだろう」と、不思議に思ったものだ。
――公民館図書室50幾つかと、2005年に合併した旧香焼町には図書館あり――
前回も県立は利用したのだが、あの時市立が無かったとは気が付かなかったな。
それにしてもデカい。前庭挟んで向き合った長崎市立図書館の威容には目を見張
る。正面幅で右側の別棟部入れれば70mから80mはあろうか。前方に高さ10mほど
の総ガラス張り部、後方に4階建の本体。奥行きもかなりありそうだ。デザイン性
とも相俟って市立図書館の概念越えていると言えよう。
――本HPは写真の掲載はないので、長崎市立図書館の外観ご覧に
なりたい方は長崎市立図書館のHPでどうぞ――
その時中から保育園児の一団が出てきた。絵本でも読んできたのだろう。保育士
のお姉さんが「楽しかったね、また来ようね」「お昼ご飯なにかなあ」などと定番
トークで子ども達に語りかけながら傍ら通り過ぎて行く。どうやらこの図書館の開
館で、保育士さんたちも子ども遊ばせるオプション1つ増やしたようである。
さて私も予定変えて入館。先ず入るのがエントランスホールで、外から見た総ガ
ラス張りはこの部分であった。広く、明るく、天井が高い。新しいだけに輝くばか
りと表現しても過言ではないだろう。更にステンドグラスあり、お洒落なカフェレ
ストラン(池田屋という長崎では知られた店らしい)ありと中々豪奢なものである。
このスペースだけで何万冊の本が並ぶだろうか。
長崎市民でもない身でいい悪いを論じる気はないが、貧乏性なこともあり、公共
図書館なんだしもっと質素な造りで十分じゃないかとは思う。
そして本体入場。おおこれは大層な賑わいである。開館2ヶ月経った平日の昼前
というのに入館者引きも切らずと言った感がある。広いので押し合い圧し合いとは
ならないまでも、1Fなどはスムーズに歩けない位だ。
見た処図書館を利用しにというより図書館見物に来たといった風の人も多い。半
分近くはそうではないか。物珍しげに彼方此方眺め渡しながら館内逍遥している。
まあ私もその一人なのだが。
前を歩く年配の女性二人連れが「これはええわ」「此処へ通って読めばええ」な
どと話すのが耳に入ってきた(こんな言い方ではなかったかもしれないが)。図書
館ビギナーだろうか。「借りて帰ることも出来るんですよ」と思わず声を掛けそう
になった。
新しい施設、新しい調度、そして全くの新規開館とあって並んでいる本もすべて
新品と、新し尽くめの気持ちいいこと。あまり手に取られることのない難しそうな
哲学書抜き出し「このぺージ開くのも俺が初めてだったりして」などと一人密かに
悦に入っていた。
暫く館内歩き回るうち、なにか浮き浮きしている自分に気が付いた。とにかく
楽しいのだ。図書館が好きな人間だから普段も図書館にいれば楽しいのだが今日は
格別。通常を遥かに越えたものがある。
それはどうも私ばかりではなく、来ている人は皆楽しげである。館内晴れやかで
浮き立つような空気に満たされている。そして、その空気がまた訪れる者の心を和
ませていく。
そうここはまさに祝祭の空間。新しい図書館の誕生を祝い寿ぐ長崎市民の思い、
開館2ヶ月経った今も続いているようである。
1Fが小説、暮らし、趣味娯楽などに新聞雑誌コーナー、こどもとしょかんで、
2Fに一般分類図書、ビジネス関連、参考書、地域資料が並んでいるのだが(3、
4Fは書庫など)棚はしっかり埋まっている。
資料によればこの図書館の収蔵力は開架25万冊自動書庫55万冊の80万冊というこ
とだが、開架の25万冊は開館時には並んでいたようである。
よく新設、建て替えなどで立派な施設は出来たものの、資料にまで予算が行き渡
らず棚はスカスカという例があるのだが、ここは満を持しての開設だけに、長崎市
の気合の入れ方も違ったと見える。
それにしても図書館に25万冊の資料を揃えるというのは、近刊書ばかり並べれば
いいという訳でもなく大変な作業だったろうと推測するのだが、そこは運営を委託
され総力を挙げて開館準備に取り組んだといわれるTRC(図書館流通センター)
が底力を発揮したということになるのだろう。
またこの図書館の新機軸として、1Fの「暮らし」などでは十進分類表に拘らず、
テーマに即して、たとえば子育てに関する本なら1類からでも3類からでも持って
きて同じ棚に並べるという手法を採っているのだが、その辺りは祝賀気分に浸って
いたこともあり、よくは見なかった。
2Fの棚をフラフラ見て回っていると、近くで書架の場所を尋ねる人がいて、訊
かれた若い女性館員ポケットから配架表を取り出し、慎重に確認して教えていた。
いささか頼りなげであり、また初々しさも感じさせ、この生まれたばかりの図書館
に似つかわしい(今の時点では)光景でもあった。新しい本、新しい施設、そして
人もまた新しい、ということになろうか。
見渡せば、カウンター含めフロアでは多くの館員が働いている。登録カードの受
け付けと引き渡しにもまだ2人ずつで対応するなど開館の揺籃期とあって手厚い配
置なされ、1、2F合わせざっと見ではあるが30人はいるだろうか。大半は若い
女性である。この規模なら数十人(50人?60人?)が新規に雇用されたのではない
かと思う。委託スタッフゆえ待遇がいいとは言えないようではあるが、考えてみれ
ば彼等もこの図書館の開館なければ職を得られなかったかもしれず、その意味では
強運の持ち主が揃っていると言えなくはない。
あるいは祝祭モードとも相俟って、此処が今日本で一番運気のいい図書館かもし
れない。少々具合の悪い人も、ここで半日過ごせば調子良くなるのではないか、と
思わせるものがある。
この図書館は地域のコミュニティセンターも兼ねているので、一画には多目的ホ
ール、会議室が置かれ、また新しい図書館らしくパソコンルームからスタジオ、映
像編集室なども備えているのだが、その辺りはもう一つ興味もないのでスルーして、
最後に「救護所メモリアル」のことを少し書いておきたい。
長崎市立図書館が建つ場所は嘗て小学校で、3校統廃合された跡地を利用したの
だが、その新興善小学校には原爆投下直後から5年間被災者を診療する救護所が開
かれ、役目終えた後も被爆遺構として保存、平和教育にも使われてきた。
それを継承したのが「救護所メモリアル」で館内1Fに厳かな佇まい見せている。
救護所内部の再現と記録映像の上映などで被爆の惨禍伝えているのだが、 図書館
建設・校舎解体計画が出た後、かなり激しい保存運動が起き、その為開館も遅れた
という話も聞いた。結局校舎は解体され、解体材の一部を再現校舎の床板や窓枠に
使うことで、僅かながらも保存の意志に応えている。
さすがに此処では祝祭気分も出る幕は無い。やや改まった気持ちで静かな空間に
身を置き、「8月9日」以降のことなど心に沁み入らせるのみである。
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