函館市中央図書館

                                                                  漂着日   2012年8月
  

「なんであなたは、そんなに何度も何度も北海道へ行くの?」と問われ
「そうだな、津軽海峡渡る青函連絡船の汽笛が俺を呼ぶからかな」
なんていうセリフを口にした昔もあった。もちろんこれは冗句飛ばしたもので、
いくらなんでも本気でそう言う訳はない。受けるかと思ったが、質問の主は冷笑
であった。
 ただこういうやり取りが交わされるほど北海道にはよく行ったし、青森と函館
を結んでいた青函連絡船にもよく乗った。海峡越えて到達する北の大地。その時
全身駆け巡るのは痺れるばかりの旅情で、それは当然ながら飛行機などで一気に
やって来たのでは到底味わえぬものであった。昔よく言われたものだ「津軽海峡
を渡らなければ北海道はわからない」と。
 私が北海道に初上陸したのは1977年8月のことで、以後90年代半ばまでは毎年
姿現してはユースホステルや1人旅の若者対象にした民宿泊まり歩いては放浪気
分の旅を楽しんでいた。当時若い連中が北海道へ行くといったら鉄道利用が当た
り前で、皆国鉄の北海道ワイド周遊券(発駅が東京以遠なら20日間有効で、往復
と北海道内の国鉄全線が乗り放題。当初は急行しか乗れなかったが、81年から道
内では特急自由席も使えた)握りしめ夜行列車でまずは青森目指したものだ。
 そして青森からは青函航路での船旅があり、3時間50分で函館入港、ようやく
北海道到達の運びとなる。ワイド周遊券は特急券を購入すれば特急も使えたのだ
が、北海道目指す若者のほとんどは当時何本もあった夜行急行利用で、東京から
なら東北本線経由の「八甲田」か奥羽本線経由の「津軽」、大阪だと日本海沿い
ひた走る「きたぐに」が定番だった。77年版時刻表開くと、北海道に辿り着くま
で東京からはざっと15時間(八甲田利用)、大阪に至っては25時間掛かっていた
が、ものともしなかった。金が無かったということもあるが、あの頃は「若いん
だから急行で十分、なんでわざわざお金使って特急乗るの?」という考えが主流
だった。学生が寝台特急で来るなど羨ましがられるどころか、馬鹿にされたもの
だ。思えば昔は皆まだまだ逞しかったな。

 私は北海道に行き始めた頃は大阪暮らしだったのだが、急行きたぐにを往きに
使ったことはなく、専ら東京廻りで八甲田利用だった。きたぐにの大阪発車が夜
だったので、昼の間に東京まで行って、上野発の夜行使う方が北海道に早く上陸
出来たからで、八甲田ー青函ー急行宗谷(81年迄は函館発11.50−稚内着21.49と
最北まで走っていた。ただ私は一気に全行程乗ったことはなく、長万部、小沢、
札幌辺りで降りていた)というのが当時の定番コースであった。もちろん東京ま
では在来線の乗り継ぎで行った。
 その頃の八甲田はレトロな旧型車両で、座席などの内装にはまだ木材がふんだ
んに使われていた。今一つ記憶は明確ではないのだが、床も板張りではなかった
ろうか。ドアも車掌がボタン一つで全車一斉に開閉する自動ドアではなく手動式
の折戸で、開け閉めは基本的に客がやるのだが、大抵は走行中も開けっ放しにな
っていた。だからやりたければ走る列車から身を乗り出して風に当たることも出
来た。思い出しても旅情豊かで、電車なのだが「汽車」と呼ぶ方がしっくりくる
列車ではあった。この旧型車両には往き還り合わせ5回乗ったと思うが、79年3
月で役目終え姿消している。

 77年8月の初回は、見送ってくれる人も無く孤独の旅立ちだったが(別に寂し
くもなかったが)、2回目(78年5月だった)は旅で知り合った東京在住の女の
子が見送りに駆けつけてくれた。少し前に「北海道はいつ行くんですか?」「31
日の八甲田で」というやり取り交わしていたので、少しは期待したものの、まあ
ないだろうなと諦めていたのだが、差し入れ抱えて来てくれた。彼女が姿現した
時の驚きと喜び、今でもよく覚えている。
 そして北への旅立ちは、私は動き出した八甲田のデッキから身を乗り出し、彼
女はホームを走って、お互い手を振りながら次第に遠ざかっていくという感動的
かつドラマチックなものとなった。
 これに味を占め、その後も以前の旅で知り合った女の子に渡りつけ見送りに来
てもらおうと画策するようになる。一つには初回もよかったのだが、2度目の北
海道が感動の連続と言えるほどいいこと尽くめだった――後から考えればこれで
すっかり北海道にはまり込んでしまった訳だ――ので、女の子に見送ってもらう
といいことが続く、と験を担いだからでもある。
 成功率は結構高く、ほぼ毎回誰かしら見送りに来てくれた。あからさまにお願
いしなくても、それとなく電話して、それとなく八甲田で北海道へ向かう旨伝え
ると「また行くの、何日?見送り行ったげようか」といった調子でとんとんと話
は決まった。なんといってもあの頃北海道を旅する女の子達は気さくで気風のい
いタイプが多かったから「東京を通るなら見送ってやらずばなるまい」といった
乗りであったと思う。要するに私が気に入って来てくれたというのではなく、従
って見送りに来てくれた子とその後特に親しく付き合うなどは初回も含め皆無で
あった。
 これは儀式の如く85年頃まで続いたが、80年代に入って自転車の旅を始め、北
海道へも舞鶴か敦賀からフェリーで小樽上陸というコースが多くなって、85年か
ら6年続けて夏の八甲田には乗らなかったということもあり、なんとなく消滅し
た。マンネリ気味で最初の頃のような感動感じられなくなってきたからというこ
ともある。

 青函連絡船がその80年の歴史に幕を下ろしたのは88年3月のこと。以後内地と
北海道を繋ぐ役割は開通した青函トンネルが引き継ぐこととなる。私は連絡船を
こよなく愛していたからなくなることには許し難い思いもあった。「利便性を求
める人間はトンネル使えばいいし、我々旅を愛する者達のため連絡船も残せよ」
などと思いはしたが、その可能性がないことは判っていたし特に行動することも
なくただ消えゆく連絡船を見送っただけだった。
 連絡船の運航最終日は3月13日だが、私の最後の乗船はその前7日だった。こ
の日北海道から戻ってきたのだが、これでもう連絡船に乗ることもないのかと思
えばこみ上げてくるものもあり、連絡船桟橋と列車ホームを繋ぐ跨線橋に立ち盡
し、かなりな時間足を踏みだせなかったことを覚えている。
 一方八甲田は連絡船廃止後も東北本線を走っていたが、北海道旅する若者が減
ってきたのと軌を一にして乗車率も悪くなったか、93年からは季節列車扱いとな
り夏場と冬の一時期しか運行されなくなった。そして98年8月22日を最期に鉄路
から姿消すこととなる。
 最終運行日には別れ惜しんで嘗て八甲田で旅した者や、鉄道ファンが多数上野
駅に詰めかけたとは思うが、私は上野へ行くこともなく八甲田の終焉も後日知っ
たくらいだった。その頃には北海道から足も遠のいていた。
 そして時を同じくして98年にワイド周遊券も打ち切りとなった。費用対効果が
高く、色んな意味で使い勝手が良かったワイド周遊券は利用者にとり絶好の切符
であったが、その分収益重視の民間企業JRには売れて嬉しいものではなかった
ようだ。
 後継に周遊きっぷという企画商品が売り出されたが、ワイド周遊券とは似て非
なるもので、使い勝手は悪く、割安感も薄いので全く広まらなかった。私も買っ
たことないし、旅先で使っている人を見たこともない。便利で安価なワイド周遊
券の消滅は、既に傾向としては出ていたが、鉄道旅のマイナー化に拍車掛けるこ
ととなった。
 今振り返ってみれば、時代の転換点だったかなとの思いがある。

 久々の北海道へやってきたのは8月も半ばを過ぎ、お盆時の民族大移動も納ま
ってきた頃。この前来たのが2001年の夏だからもう11年経つのか。
 この日は青森から珍しく特急奮発して青函トンネル潜り、昼を少し過ぎた頃の
函館入り、実に久し振りで函館駅頭に立った。前回は自転車の旅で、青森からフ
ェリーで津軽海峡越えてきて、少し離れたフェリー埠頭に上陸して其処から直ぐ
国道5号線へ出、大沼の宿を目指して北上始めたし、その前は96年だったがこの
時も自転車で苫小牧上陸の帰りは釧路から共にフェリーとあって函館には来てい
ないから、駅前に立つのも18、9年年振りくらいとなるか。
 なんとも懐かしい。ただ久しぶりに眺める函館駅前の風景は記憶の中のものと
は様変わりしている。駅舎も新しくなり、駅前広場も広々として垢抜けた佇まい
になっているのだが、個人的には昔のやや雑然とした感じが好きだな。

 函館には何度も降りて街歩きを楽しみ、そう観光する人間でもないが函館山や
五稜郭それに五島軒なども複数回行ってるしと今回そっちの方はスルー。時間も
あまりないので駅前商店街を少し、松風町交差点まで散歩するだけに止め、すん
なりと図書館目指すことにした。

 函館市中央図書館があるのは五稜郭公園の傍。道一つ隔てて建っている。巨艦
でありレンガの外壁と広い窓が特徴的な威容見せている。2階建てと高さはそれ
ほどないので、どこか横たわっているという風にも見える。資料によれば2005年
の開設で、それまでは市街青柳町の函館公園内にあり、1927年建設のレトロな建
物だったという。
 人口27万2000人ほどの函館市で図書館名乗るのは此処だけで、後は5図書室1
配本所のみ。数も少ないが、1番大きな千歳図書室でも一般29000冊、児童15000
冊、雑誌16タイトル、新聞3紙程度、他は一般・児童合わせて2〜3万冊の規模
でしかなく、場所も函館市中心部とその近辺と偏在している。移動図書館が市内
27ヶ所を巡回していると言うが、それも1ヶ所月2回がやっとのようで(亀田半
島地域など1回の所もある)手薄感は否めない。函館市の考え方として立派な中
央図書館1つドンと構えておけば、後は貧弱で可としているようだが、この大き
な落差を函館市民、別けても中央まで行くのが大変な周縁部の人達はどう感じて
いるのだろうか。
 因みに函館市は2004年に南茅部町、戸井町、恵山町、椴法華村と合併したこと
により677.95平方km(函館市HPより)と東京23区(623平方km)上回る市域を有し
ている。

 函館市中央図書館に入館。四方をガラス壁に囲まれた緑の芝生も鮮やかな中庭
を横目にエントランスロビーを進むと更に扉があり、越えて開架図書室へ入る。
広い。天井も10m級の高さがあり、月並みながら体育館に書架を並べたようなと
いった感想が浮かぶ。
 その広さ72〜3m×70m弱×2分の1といった処か。何故2分の1かと言うと
この図書室3角形なのだ。敷地そのものが2等辺三角形なので制約受けたとも取
れるが、平面図見れば敷地も広く、直角を挟む2辺の長辺で 180m強、短い方で
も 120mはあるので、矩形でも相当な建物置けたのではとも思える。
 そうしなかったのは敷地の効率的運用か、はたまた設計者が三角形の敷地に三
角の建物をと、こだわる処あったのだろうか。
 フロアに置かれた書架は 1.6m高5段がメイン、棚間も 1.7mはあり余裕のレ
イアウトにしている。自然光もたっぷり採り入れた図書室は床がカーペット敷き
で壁と天井は垢抜けたクリーム色、豪華というのではないがエントランスロビー
とも相俟って十分な豊かさ感じさせる。
 ここで函館市中央図書館HPから抜き出した数字で、この施設の概要を見てみ
よう。まず敷地 11707.81u、床面積7687.13u地下1階地上2階とある。蔵書は
一般図書31万6千冊、児童図書7万冊、郷土資料7万4千冊、AV9600点、新聞
22紙、雑誌 500タイトルとなっている。開架冊数も各コーナー別に出ていて、一
般15万5000冊、児童48000冊、ヤングアダルト25000冊、AV7500点(ビデオ・C
D・DVD)が並んでいるようだが、郷土資料・参考図書は空欄となっている。
単に抜けたのか、それとも一般図書に入っているのか(ちょっと考え難いが)疑
問はあるが、いずれにせよ開架23〜4万冊規模でなかなかのものと言える。
 施設的にも充実している。1Fにはグループ学習室、コミニュケーションルー
ムがあり、2Fレファレンスコーナーにはグループ研究室と個人使用の研究個室
が9室設けられている。また152席で200インチスクリーンを備えた視聴覚ホール
に50人対応の大研修室、30人対応の中研修室、10人以下の小研修室もあってこれ
らは貸室としての利用も出来る。更に展示ホールがあり図書館ボランティアのた
めのボランティアルーム(対面朗読室とは別)も3室ありと現代の中核的図書館
に求められる一通りのものは揃えている。

 1階開架図書室はこの図書館のメインフロアーで仕切りはないが6つのコーナ
ーに区分けされている。中心はなんと言っても大きなスペース持つ一般開架コー
ナーで、38本の書架が林立している。それを取り巻く形で新聞雑誌、AV・イン
ターネット、ヤングアダルト、点字・大活字・録音図書の各コーナーがあり、少
し離れて児童コーナーが設けられている。
 2階は中2階的に設けられていて、それほど広くはないが参考図書、郷土資料
並べたレファレンスコーナー、公開書庫がある。レファレンスカウンターがあり
専任のスタッフも就いている。レファレンスコーナーの隣には読書テラスという
一画があるのだが、眼の前に五稜郭公園の緑が広がり気持ちいい。ここで半日過
ごすのありかなと思う。

 分類は「188.52 クウ」「210.523イマ」――実際のラベルは2段――など4〜
6次分類だが、主体は5次となっている。並んでいる本は全体的に新しいが、古
いものも少なくない。開館時青柳町時代より数倍になった開架スペースを埋める
べく相当量の本を購入しただろうが、旧来の本も出番得ているものと見える。
 210日本史2000冊級、367家族問題 600冊強、369社会福祉は800冊位が並び、館
容に相応しいヴォリューム見せている。
 分類を5次・6次までしているのだから意識は高く、レベルもそれなりのもの
があるのだろうと期待して見たのだが、その割りには大したことないというか中
途半端感が強い。
 例えばコンピューター関連だが、547通信工学、548情報工学の棚に 007情報科
学も持ってきていて、同じテーマを集めるという処まではやっている。ただ今の
時代、利用者の利便性考えて一歩進め Excel・Powerpoint・C言語などソフトウ
ェア、機能などに分け見出しも付けて並べるべきだろう。007.5、007.6程度の分
け方では不十分というか大して意味はない。それと昔のやり方を中々変えられな
い頭が固い役所臭漂わせる型の図書館でよく見るのだが、Wordを離れた(向かい
ではあるが)582の棚に置くというのもいただけない。今時 Wordを事務機器と誰
が思うだろうか。施設は新しくなったものの頭は古いままと見た。
 其れと私が最近その図書館の姿勢と能力を見る指標としている 596料理だが、
こちらの分類も中途半端で、力不足とやる気の無さ感じさせる。
 一応様式別・材料別の区分もあるのだが、これが実質17分類でしかなくなんと
も物足りない。冒頭「食品料理」の見出し札の後に雑然と突っ込まれている 600
冊ほど(ラベルは 596コンなど)を仕分ければスッキリして利用者の利便性も高
まるだろうに、気が付かないのかやる気がないのか。料理のレシピ本などは薄く
て背表紙のタイトルも読み難いのにカナ2文字の符合振って50音に並べただけで
済ましていられる神経が判らん。
 
 棚もデコボコしたり波打ったりと乱れている。相当なもので汚いと評してもい
い位なものだ。整理しないのかと改めて館内眺め渡せば、この時広い一般開架フ
ロアーで配架に当たっているスタッフはたった1人だけ。それも <私だけがなん
でこんな作業しなければいけないの> と思っていたかどうかは判らないが、いか
にも身の入っていない仕事振りで、これではとても乱雑な棚の修正など追っつか
ないなと妙に納得した。
 この時フロアーに出ていたのは長い総合カウンターに4人、AVコーナー2人、
2Fレファレンスコーナー2人、児童コーナー2人、そして配架1人とこの規模
の図書館にしては薄いともギリギリかなとも思わせる人員。施設を立派にした分
人にはあまり予算付けられないのだろうか。因みに此処も指定管理者制採ってい
て、フロアーに立つのは Trcスタッフである。これと配置が薄いことの間に何ら
かの関連性があるかどうかは判らない。

 児童コーナーは例により軽く覗いた程度だが、書架の側板背に置かれた小さな
丸椅子が目に留まり「いかにも子供向けで可愛いイスだなあ」とちょっと和むも
のもあった。その時「そういえば、この図書館椅子の種類多いよなあ」とあらぬ
処に気が向いた。
 そこで本ならぬ椅子を眺めつつ改めて館内一巡りしたのだが、あるわあるわ実
に多彩なラインナップであった。普通図書館の椅子など新聞雑誌コーナーにソフ
ァータイプ、閲覧席にはシンプルな背もたれ付きの木製(スチールもあるか)椅
子、後ベンチタイプにスツールなどで多くて数種類、中には実用的なもの2タイ
プだけという館もある。2000年以降に造られたデザイン性の高い内装に凝った館
なら家具調など見栄えのいいのをもう何種類か備えてるケースもあるが、それで
も10タイプ位なものであろう。それがこの函館市中央図書館は成人向けだけでよ
くあるシンプルなものからデザイン性豊かな凝ったものまでなんと22タイプの椅
子を揃えている。こんなに多彩な椅子を持つ図書館見たことない。このコーナー
(用途)にはこのタイプの椅子を――と設計者に並々ならぬ思い入れあったのだ
ろうと推察する。
 数ある椅子の中で一番興味持ったのが、1F開架コーナーにある座面は30p高
と低く、横幅7〜80pと広く取った座椅子風(脚はあるが)の寛ぎ感溢れるヤツ
で「気持ちよさそう」と早速適当に抜き出してきた本を手に試してみた。さぞや
気持ちよく、ゆったりと読書出来るかと思いきや、さほど座り心地はよくなかっ
た。低いので足の落ち着きが悪いからだが、これはひょっとして靴を脱いで胡坐
をかくのが理にかなった使用法なのか。そう思ったが、図書館内でそれも憚られ
るので試しはしなかった。

 さて時が過ぎ、今夜の宿を取っている大沼へ向け移動しなければいけない頃と
なったので退館。中味より建物、設備が印象に残る図書館だった。
 函館本線五稜郭駅まで歩いて 16.50発森行普通列車に乗り込み道南の田園風景
の中緩やかに北へ行く。15分ほど走って北斗市に入り、渡島大野駅へ来ると車窓
には北海道新幹線の工事現場が広がった。どうも駅舎のようで、そう言えば新函
館駅の場所この辺りだったか。
 函館まで延びてくるのはまだ3〜4年後のようだが、光と影を伴ってくる新幹
線、開業の先には在来線の第3セクター転換など地域の足が弱体化することは間
違いなく、地元にとり好ましい状況とはならないだろう。そもそも内地の3セク
が軒並み苦戦しているのに、人口密度薄い北海道で地域の足維持していけるもの
か。20年も経てば「昔は函館本線もあったんだがなあ」という事態も無きにしも
非ずではないだろうか。
 私がこの次北海道へ来る頃道南の鉄道事情はどうなっているだろう。いささか
気になる処ではある。

                    
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