碧南市立市民図書館
漂着日 2008年6月
碧南市は愛知県中南部、尾張から三河へ足を踏み入れ、直ぐの処を南下した海辺
にある。西部衣浦湾沿いは中京工業地帯の一翼担っているが、市内にはまだまだ長
閑な農村風景も広がり、ニンジン、タマネギの産地でもある。人口7万余り。裕福
な自治体が並ぶ愛知県の中でも有数の財政力誇る豊かな市であるという。
東海道本線を刈谷で名鉄(名古屋鉄道)三河線に乗り換え約20分。終着碧南駅へ降
りたのは夏至も過ぎ、もう何日かで7月に入るという金曜の午後。4時は過ぎてい
たかとも思うが1年で最も日の長い頃だけに、太陽はまだ高い位置にある。
この辺り一帯は大浜と呼ばれ、室町時代から海上交通の要衝として栄えてきた町
で、寺や神社が多く、戦災にも遭わなかったので昔の街並みがそっくり残っている
という。
その古い街並みを巡るのと清澤満之が晩年を過ごし、最期も其処で迎えた西方寺
にある清澤満之記念館を訪ねるのが今回此処へ来た目的。記念館が出来たことを知
った数年前より考えていたが、ようやく実現に至った。
清澤満之(1863~1903)は真宗大谷派の僧侶にして宗教哲学者。永く宗門秘匿の書
であった歎異抄を発掘し世に出したことでも知られるが、思想家としての評価は高
く、西田幾多郎にも先駆け、日本人哲学者の草分けと位置付ける説もある。
こう書くと恵まれた知識人としての人生を送ったかにとられるが、実際はそうで
はなく、宗門改革に挫折し、肺結核で早世しと、年譜眺める毎に哀しみ覚える程そ
の生涯は暗い色調に包まれている。
一般的には宗門改革運動の先駆者としての印象が強いかもしれない。私も清澤満
之という名を知ったのはそちらの方からであった。
俗にお東さんと言われる真宗大谷派は昔から何かと揉め事の多い教団で、私の少
年時代の1960年代~70年代にも同朋会運動と呼ばれる宗門改革運動が起こったのだ
が、その時改革派が拠り処としたのが、明治時代宗門改革運動に取り組み挫折した
清澤教学であった。「清澤満之の言葉に帰れ」といった檄がしきりと飛ばされてい
たような記憶がある。
以来清澤満之は気に掛かる存在となり現在まで続いているのだが、実の処その著
作は1冊も読んでいない。俗っぽい人間なので宗教哲学には関心も持てず、私には
清澤教学は敷居が高かった。精々吉川弘文館の人物叢書(吉田久一著)で足跡、人と
なり垣間見た程度である。記念館訪ねれば刺激受け、一度挑戦してみようかという
気になるだろうか。
さて駅近くの宿に荷物放り込み大浜散策へ。西方寺を訪ねるのは翌日なので、暮
れるまで家並み探勝の散歩楽しむ。
駅を起点に昔ながらの佇まい求め歩き回ったが、想像以上に鄙びた町だなという
のが総体的な印象。漁業と海運で栄えたというから、もっと嘗ての賑わいの跡見ら
れるかと思っていたがそれほどでもなかった。レトロな商店街なども期待したのだ
がそういう所もなく、駅前なども閑散としていて名鉄が出て行けば暫くは人影もま
ばらという状態である。
もちろん昔から続く街並みは味わいあり、眺めるもよし、歩くもよしと堪能でき
る。特に堀川越えた築山町の辺りは、路地と家並みの取り合わせが絶妙で、飽きる
ことなく歩き回った。
それと散策中、地域センターと観光案内所兼ねた「大浜まちかどサロン」という
市の関連施設に行き当たり地図など入手することが出来たのだが、それに依れば大
浜から北へ向かって延びる大浜街道は往時信州へ塩を運んだ道だという。
塩の道というと、私の場合以前歩いたこともあり、つい日本海側から延びる千国
街道を思い浮かべてしまうが、そうか太平洋側からも行ってたんだなあと再認識。
この三河湾一帯では嘗て製塩が盛んだったようだ。そういえば岡崎の北の足助宿が
塩の中継で栄えたとか中馬街道という言葉だとか、前に何かで読んだ記憶も甦って
きた。
翌日も晴天。爽やかな初夏の週末となった。この日は清澤満之記念館と碧南市民
図書館を訪ね、午後名古屋へ行って知人と久し振りに歓談の後更に西 (滋賀県辺り
を想定) へ移動と結構忙しいスケジュール組んである。図書館は名鉄で3駅刈谷寄
りの北新川駅近くにあるので満之記念館から始められればいいのだが、開館が10時
でそれを待ってのスタートとなると図書館で過ごす時間があまり取れない。そこで
9時開館の図書館へ先に行くことにした。北へ行って戻ってきて再度北へ行くとい
う効率悪い動き方になるが致し方ない。
移動手段は自転車。タクシー使う金は無いし、電車しかないかと思っていたが、
夕景の大浜歩くうち無料のレンタサイクルがあることを発見し「これだ!」とばか
りに利用を決めた。放置自転車を再利用した市の事業で、誰でも手軽に貸して貰え
る。市内各所に窓口があり、大浜ではまちかどサロンもその1つだが、駅前のパン
やジュースを売り軽食も出す商店だと9時前でも手続きしてくれるというのでこち
らで借りることにした。因みに返却は他の窓口でもOKである。
ということで土曜の朝に碧南の街を疾走。自転車で走るにはいい気候だし時間も
無駄なく使え、しかも無料とあって気分も上々である。ただ良さそうなのは選んだ
けれど、元が放置自転車だけに乗り心地はもう一つ。それと私物化防止だろうが、
全身黄色いペンキで塗られ前面には大きな市章が掲げられているので、乗っててい
ささか恥ずかしくもある。まあ贅沢は言えない。
直線距離でざっと4Km。分かり易い道だからスンナリ行けるだろうと楽観してい
たが、図書館近くまで来て、チョット迷った。が、無事9時をしばらく過ぎた頃に
は到着。
此処で先に書いておくと、この後図書館で2時間余り過ごして大浜へ取って返し
西方寺の清澤満之記念館を見学。展示品の他、満之執筆、臨終の部屋なども見せて
もらい寺の人から最晩年の境遇も聞かせてもらったが、やはりそれは暗い色調のも
のであった。
さて図書館に入るとするか。
「碧南市民図書館本館」というのが中央図書館の正式名称であるようだ。場所は
名鉄三河線の駅(北新川)から4、5分だが、市域全体から見ると随分北に寄った所
にある。碧南中央駅付近の中心部に土地を確保出来なかったからだろうか。
垢抜けた洋風建築の独立館だが、同じ敷地に芸術文化センターがあり、フォーラ
ムと称する野外イベントなども出来るという広場を挟んで向かい合っている。
なんとも堂々たる構えで、人口5、60万都市の中央館でも立派に通用しそうな規
模である。人口7万余でこれだけの図書館持てるというのは裕福だからだろうなと
つい思ってしまう。
玄関から入ると、広々とした閲覧室が広がっている。直ぐ右手が新聞雑誌のエリ
ア。その背後に階段があり2Fへ通じているのだが、2Fはこどものフロアとなっ
ている。その他事務室や会議室などがあるようだが、正直あまりよく見なかった。
逆に入口から直ぐ左へ回り込むように進めば長いメインカウンターが延びている。
その前は定石通りに余裕ある幅広の空間が取られていて、通路兼ね帯のように奥へ
と通じている。
実はこの図書館は矩形ではなく、扇形様をしている。正確には扇形から要部分を
抜いた形なのだが、いっそバームクーヘン4分の1カット型と言う方が判り易いだ
ろうか。従って、玄関側(短い)とその反対側(長い)の壁面は曲線を描いている。
広さはと言うと仮に玄関側を内弧、反対側を外弧とすると内から外が飛び出た部
分を除き26、7m。もう一方は外弧から数mの辺りを端から端まで弧を描くように
歩いてみると 132歩であった。屋内とあって静かに歩いているから1歩60cm弱の計
算でざっと75mになるか。
ここから1Fフロアのおおよその面積を割り出そうと、扇形は半径の2乗×中心
角/360°×3.14だから…… とやってみたが、断念。そもそも扇の要部分が無い形
なので半径の推測からして難題だった。
因みに図書館発表の資料では建築面積2052.88㎡、延床面積4327㎡となっている。
外観も立派だったが内部も中々のもの。豪華とまでは言えないが、貧乏臭は微塵
も感じさせない。メインカウンター周辺もなにやらシティホテルのフロント風であ
る。
閲覧席も多彩。外弧に沿って小部屋風に仕切られた区画が並び、閲覧席が設けら
れているのだが、和室あり、ソファーあり、円卓あり、6人掛けテーブルあり、カ
ウンター席ありで、好みに合わせて好きなタイプを選んでくれとばかりに取り揃え
てある。社会人読書室(12席)、飲食室も同じ並びにある。
その他にも1Fには13人用長机や応接セット風の席、書棚の側板背にした席など
多くの閲覧席が用意されていて、私がざっと数えた処では新聞雑誌やAVなどのコ
ーナーも含めて190席余りあろうか。特徴的なのは柱周りの数席を除き、その大半、
少なくとも9割以上が背凭れ付きの椅子であることで、書棚の側板背にした席も大
方の館ではスツールが置かれているが此処では背凭れの付いた椅子である。それも
通常公共機関などで使われているものに比べ上質なものと見た。
この辺りは豊かさの一端か、それとも利用者サービスへの意識の高さの表れか。
私見ながら90年代に入り、それまで本を借りて帰る所、調べ物、勉強をする所と
いう概念しかなかった図書館に「くつろぎ」という発想も生まれてきた。内装にも
気を配り、座り心地良いソファーを置き、趣味娯楽系の雑誌も多数並べ、音楽を聴
くことも出来、眺めのいい庭園を配しという辺りに形となって表れているのだが、
それはまた当時繁栄の絶頂へ昇り詰めた日本の豊かさが溢れ出たものと言えよう。
この図書館(建物)の開設は93年だそうだが、そういった新時代の考え方よく取り
入れた設えになっていると思う。
最奥は参考図書、郷土資料のエリアだが、その手前にはちゃんとレファレンスデ
スクがあり女性館員が2人座っている。近くのAVコーナー用のヘッドホンを貸し
出したりもしてるからレファレンスのみというのでもなさそうだが、主たる仕事は
やはりレファレンスのようで、2人付いてるというのは大したものだ。それだけ需
要もあるのだろう。
私が住んでるのは人口23万超の東京墨田区だが、中央館(あずま図書館)にレファ
レンスデスクなどはない。隣は人口約45万の江東区で、中央館(江東図書館・行く
のは年に数回か)2Fには確かにレファレンスデスクはあるけれど「此処に人が座
っていたことあったかな?」と遠い記憶手繰らねばならぬほど、いつ行っても無人
である。それに比べれば人口7万余の碧南市のこの布陣、立派なものではないか。
レファレンスデスクの頭上には「なんでも聞いて」と大書された看板が掲げられ
ているのだが、心なしか輝いて見える。
そして棚だが、一般書は外弧寄りに層を成すように四十数本が並び、中々壮観で
ある。主として約2.3m高6~7段のと約1.5m高4~5段の2種類あるが、高い方
が多いか。どちらもよく埋まっていて空きは少ない。当然本は多い。
資料を見れば蔵書40万冊、内開架15万冊とこれまた県庁所在地の中央館顔負けの
数字が並んでいる。
ただ分類はもう一つ。施設の垢抜けようとは趣を異にし「ここらは田舎の図書館
だなあ」と思わせるものがある。
具体的には「188.ク」「210.4イ」など3次もあれば4次もある。図書記号は著
者名ではなく主として書名の頭字から採られている。
日本史・地理・経営・家族・福祉・医学など量のある分野はさすがに4次だが、
この開架の冊数なら全て4次にしていいのではないか。188仏教だって400冊強は
あるのだから。
問題なのは 289伝記で「289.1 オ」などとなっているが、このカナ1文字の図書
記号が被伝者名ではなくやはり書名から採られていて、そのため同じ被伝者であっ
ても彼方此方に散ってしまい実に不細工。もちろん利用者にとり不便この上ない。
例えば織田信長はオにもノにもあり「信長公記」はシで図説織田信長はズという
具合にタイトル次第で其処彼処である。
また頭に「評伝」と付けられた伝記は皆ヒに並べられている。梅原猛も岡潔も河
口慧海も原敬も同じヒという記号振られひとつ所に固まっているのを見ると違和感
もさることながら、何やら滑稽ですらある。
これも私が言う処の「閉架の亡霊に取り付かれている」というやつで、碧南市の
図書館は1940年代からあったというから閉架式時代の表記を今に至るまで踏襲して
いるのだろうが、289.1 個人伝記日本人だけで1100冊位あることを考えればもう何
とかすべきだと思う。
小説類は宮部みゆきが「Fミ」などとさすがに著者名から採られている。
それと此処には絵画の貸出しもある。もちろん複製だが額付きで、借りて帰れば
そのまま壁などに飾って楽しめるようになっている。館内奥まった一画にコーナー
があり、スライド式の棚にポスターも含めざっと 180点ほど掛かっているが、書庫
にはまだありそうだ。
これまでかなりの数の図書館訪ねているが、絵画を扱っている処は初めて。コー
ナーに気がつくより先にカウンターで貸出手続きするのが目に入ったのだが、一瞬
「なんだあれは」と目が点になった。
東京辺りだとウチもそうだが絵を飾るスペースも空いてないという家が多いから
絵画の貸出しなどという発想自体出てこないけど、その点碧南では住宅事情もいい
のだろう。
気がつけばいつしか昼近く。館内相当混んできて、机のある閲覧席は満席状態に
なっている。利用しているのはほとんどが高校生で、期末試験へ向けた追い込みと
いった処だろうか。
しかしそれにしても静か。通常高校生が数十人もいれば、何処かで私語が始まっ
たりと図書館であっても多少は騒々しいものだが、此処では誰ひとり口を開かず集
中して机に向かい、ノート上を走るペンの音が聞こえるくらいの静寂保っている。
これはえらい。今時珍しいというか、大袈裟に言えば奇跡の光景ではないだろう
か。
「ものづくり三河」の真摯で堅実な気風、目の当たりにした思いであった。
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