八日市図書館
漂着日 2008年7月
日本における図書館先進県はどこかというと、これが意外なことだが滋賀県であ
るそうな。個性的で質の高い公共図書館が目白押しで、1人当たり図書貸し出し数
も2002年以降全国トップをひた走っているという。
1970年代末県民の文化力向上には図書館の充実が不可欠と考えた県知事武村正義
と教育委員会スタッフが、その推進役として東京日野市で「市民の図書館」を標榜
して実績を上げ、図書館の世界では著名であった前川恒雄を移転新装なった滋賀県
立図書館長に招聘したのがその飛躍への第一歩とされる。
因みに当時の滋賀は県立以外の公共図書館が5館(当時50市町村で設置率10%)
しかないなど掛け値なしの図書館後進県であった。
1930年石川県小松市生まれの前川恒雄は文部省図書館職員養成所(のち図書館短
大、図書館情報大学など変遷を経て現在は筑波大情報学群知識情報・図書館学類)
を出、石川県小松市立、同七尾市立図書館で司書として数年勤めた後60年社団法人
日本図書館協会(日図協)に移り、此処で事務局長有山ッのもと「中小都市におけ
る公共図書館の運営」世に言う「中小レポート」の作成に深く関わる。これは中小
公共図書館の運営基準を3年に渡る徹底した調査と討議によって練り上げ提起した
ものだが、単なる報告書の域を越え、公共図書館の果たすべき機能、改革すべき課
題を具体的に指し示し、旧来の図書館学に対する挑戦的言辞もあって、賛同、反発
を問わず全国の図書館人に与えた衝撃は大きかった。
当時は図書館の低迷期で、建物は古く狭く、本は少なく、利用者サービスなどと
いう概念も存在せず、学生が勉強部屋代わりに使うのが主で、一般の市民は図書館
には行かないものであった。
そして多くの図書館員(特に若手)は自らの仕事に意義も喜びも見い出せず混迷
の淵に沈んでいた。ベテラン図書館員が「そんな詰まらない仕事をしているのか」
という反応が返ってくるのが怖くて旧友と会っても職業を明かせなかった、という
話も残るほど世間も当の館員達も図書館を低く見ていた時代だった。
そうした状況の中63年刊行された「中小レポート」は「中小公共図書館こそ公共
図書館の全てである」と高らかに謳いあげ「公共図書館の本質的機能は資料提供に
あり住民の資料要求を増大させるのが目的である」と規定し、その理念のもと「奉
仕」「資料と整理」「相互協力」など図書館運営のあるべき姿を展開している。
それはさながら当てどなき航海を強いられていた図書館員達に明瞭な海図を示し
た如くで「中小レポート」と出会うことで図書館員として生きていく肚を固めた者
も少なくないと聞いている。また「中小レポート」を読んだ夜は興奮で躰がブルブ
ル震え眠れなかった、といった図書館員の述懐も残されている。
また「中小レポート」は7人の中央委員と49人の地方委員それと事務局の前川に
より作成され、地方委員は各地の若手図書館員から選任されていたのだが、彼等は
調査と討議を通じて鍛えられ、その後地方における図書館活動の中核的存在となっ
ていった。
その意味からも「中小レポート」が与えた影響は大きく、日本の図書館史を眺め
渡す時「中小レポート」を一つの転換点と捉えることも、ごく自然なことに思われ
る。
65年4月前川恒雄は東京多摩地方の日野市教育委員会職員に転じた。日野市に図
書館開設の機運を嗅ぎ取った日図協事務局長有山ッの薦めによるものだが、祖父、
父と旧日野町長を務めた日野の有力者である有山は「日野にこれが図書館だと言え
るような図書館を造る」という願望を持っていて、その実行役として前川が送り込
まれたと見られなくもない。
そして前川は6月には初代日野市立図書館長となり、以後「中小レポート」の理
念を実践し「東京に日野あり」と全国に名を轟かせ、見学者引きも切らずで「日野
詣で」という言葉が生まれる程の実績を上げるのだが、実は日野市立図書館は「図
書館無き図書館」だった。
[図書館]と言えば誰しも閲覧室に書架が並び、図書館という看板掲げた建物を思
い浮かべるが、日野市立図書館はそのスタート時そうした施設は持たず(市の施設
に間借りした事務室はあった)「ひまわり号」と名付けられたマイクロバス改造の
移動図書館車1台が全てだった。
前川は日野に来た当初、直ぐにも図書館建設計画が始動し、自分が館長予定者と
して実務を担当するのだと思っていたのだが、市役所内の空気は冷ややかだった。
図書館建設は当時の市長のさほど根回しもしていない先走り的構想で、役所、議会
とも否定的意見が強く、当の市長も是非ともというほどの姿勢は見せず、実現の見
通しは立たなかった。
梯子を外された形の前川は「これでは自分が此処に居てもしょうがない」と一時
は日野を去ることも考えたが「図書館とは建物ではなくシステムである。戸板1枚
と本があれば図書館は出来る」と発想を変え、自動車1台による移動図書館を提唱
してこれが容れられる処となり、施設無き図書館の「開館」へと漕ぎつけた。
そしてその年9月から走り始めたひまわり号は日野の街を巡り、徹底した資料提
供と利用者奉仕でニーズを掘り起こし、図書館の世界の中ではあるが全国の注目集
めて行く。リクエストの導入も当時は斬新なサービスであった。
移動図書館から幾つかの分館設置を経て日野市が中央図書館を建設開館したのは
73年4月のことである。
話は前後するが、ひまわり号が走り出す少し前、8月に日図協事務局長有山ッが
日野市長へと転身遂げていた。これは当人も予期しなかったことで、議長選挙に纏
わる贈収賄事件での逮捕者続出という混乱から東京都議会が解散し、7月に都議選
が行なわれたのだが(以後東京では知事選と都議選が別個に行なわれるようになっ
た)この時何を思ったか前市長が職を投げ出して都議に転出してしまい、そのため
急遽公布された市長選に日野の名門一族である有山が担ぎ出され、当選してしまっ
たのだ。
有山はまだ日図協の仕事をやりたかったようだが浮世のしがらみもあり、旧家の
長男としての立場もあり、抗し難かったようだ。
図らずも有山市長ー前川図書館長という図書館事業推進にはこの上ない組み合わ
せが出来た訳で、当人達は関係に甘えず職責果たすのに何かとやり難さもあったよ
うだが、図書館ひいては日野市民にとっては幸いなことであったと思う。たとえば
図書館スタートの翌年66年度の図書費は倍増し1000万円超と当時の市立図書館では
破格の額となったのだが、これも棚が空になるのではないかと心配するほど利用者
が殺到したということもあるにせよ、やはり有山の存在が大きかったと見るべきだ
ろう。
尚有山は市長として4年の任期を全うすること叶わず、69年3月病により逝去し
た。享年57歳。最後の肩書は日野市長だった訳だが、日図協理事長の方が相応しか
ったのになとの思いは拭えない。
70年日図協は「市民の図書館」を刊行する。「中小レポート」の後継とも言える
が「中小レポート」が理念先行であったのに対し、実務に即した図書館運営の手法
を示し、70年代における公共図書館の発展に大きく貢献した。
著者名は表示されてないが「児童サービス」以外の多くを前川が執筆したことは
今日ではよく知られている。
前川と滋賀県との間に縁が出来たのは79年に「滋賀県図書館振興対策委員会」の
特別委員を委嘱されてからのことで、当時は図書館を離れ日野市企画財政部長とい
う職にあった。
この委員会は80年3月、後の滋賀県図書館振興策の土台となった答申を残し解散
したが、この時ほどなく完成する新県立図書館の館長として前川を招聘したいとの
話がきた。
前川は最初乗り気ではなかったようである。その理由を著書の中で「県立図書館
というものがよく判らなかったので」と述べているが、かつて「中小レポート」で
「中小公共図書館こそ公共図書館の全てである」と全国の県立図書館に喧嘩売った
ことが蟠っていたのではないかとも思える。
それはさておき「前川氏を貰いたい」という滋賀県側と「前川は出せない」とす
る日野市長の間で激しいやり取りもあったようだが、最後は前川が滋賀行きを決断
し、漸く話は纏まった。
80年7月県立図書館長に就任した前川はそれまでの研鑚と蓄積を生かし、既存館
のバックアップと新規施設の建設を推し進めて行く。
もちろん新規の館といっても県立図書館が直接建設する訳はなく、主管の県教委
文化振興課と連携し、図書館を持とうとする市町村からの相談を受けて、望ましい
姿へ導いていくのだが、81年度に建設費と図書費の補助を柱とする「滋賀県市町村
図書館振興策」がスタートし漸く体勢が整った。
振興策の策定は県教委だが、前川が主導したものであることは、その内容から見
ても疑う余地はない。そこには <補助金を受ける自治体はこれを守るように>と
条件が付けられていて、これにより滋賀の図書館のレベルは上がったといわれる。
中でも効果があったとされるのは次の2つである。
・図書館長は司書資格を持つ専門職とすること。
(館長という文言は入ってないが実際にはそれが求められた)
・図書費の補助は単年度ではなく複数年(最長10年)一定額以上を
購入する場合に行なう
本のない図書館には利用者は来ない。変わり映えのしない図書館も同じ。従って
本は毎年一定額以上を購入し続けることが肝心であり、蔵書の充実が利用の拡大に
繋がっていく。
また図書館は「人」である。図書館を知らない、興味もない役所内の移動で回さ
れてきた人間が腰掛けで2、3年館長職を務め、また入れ替わるのでは質の高い図
書館にはならない。知識も経験もある館長が腰を据えて図書館運営に当たり、館員
も育てていくことで利用者が喜ぶような図書館が出来てゆく。
これが根底にある考えだろう。
この頃前川はしばしばこう言っていたそうである。
「単に数を増やし、設置率を上げるだけでは意味が無い。これが図書館だと言える
質の高い図書館を作ることが大事なのだ。滋賀の10年後を見ていて欲しい」と。
振興策を受け、八日市市(1985年開設)、栗東町(86年)、愛東町(87年)、マキノ町
(87年)などが図書館設置を決め手を挙げたが、県と県立図書館は単に補助金を交付
して終わりとするのではなく、質の高い図書館を目指した。
図書館を建設しようという自治体が補助金を申請すると、県からまず県立図書館
に相談するようにと指導が入る。そして県立へ赴くと前川館長が出てきて図書館と
は何か、住民が喜ぶ図書館とはどういうものか、諄々と説かれたそうである。
「図書館は人ですよ」「本の並ばない(面積の小さい)図書館では意味ありません
よ」などと諭されて、図書館に詳しくもなければ、さほど思い入れもなかったろう
各自治体の担当者が困惑したことは想像に難くない。
そして図書館とはかくあるべきと確固たる理念持つ前川と、ほどほどの施設で済
ませ後の運営コストも押さえたい各自治体との間には駆け引き、鬩ぎ合いもあった
はずだが、その後つくられた図書館を見れば前川サイドの助言がかなり取り入れら
れていることが判る。
例えば八日市市は当初館長は退職教員の嘱託、司書1人で後はアルバイトなどと
考えていたが、説得受けて、館長には資格持つ専門職、司書も複数採用し、建物も
倍近くに増床と変わっていった。
補助金握る県の睨みもあったが、ここはやはり前川の見識と人柄に自治体側が肯
かされたと思いたい。
なんといってもその頃は、知事を始めとする県の理事者側と県教委文化部それと
前川に代表される県立図書館の間には「住民が喜ぶいい図書館を増やして県民の文
化力を上げる」という確固たる目標が共有されてブレることはなく、連繋も見事に
とれていたようで、これが県当局だけでは説得の言葉を持たず、前川が単独で突っ
込んでいって理想を説いても孤立するだけだったろう。
さてここで問題が一つあった。「図書館は人、司書資格持つ専門職の館長を」と
言っても図書館後進県であった滋賀には適格者がそれほどいなかったのだ。そこで
採られたのが前川自身がそうであったように移入人事で、県外から経験も能力もあ
る図書館人を館長として呼び寄せるという策である。
これは苦肉の策ではなく、最初から必要条件として前川の構想に入っていたと思
われる。また人選や招聘への道筋なども前川が主導したと見て間違いないだろう。
そして84年春大阪府立図書館から西田博史が八日市へやって来たのを皮切りに、
日本各地より有為の人材が80年代から90年代にかけ滋賀へ集まる処となる。
その前任の館と赴任地を書き出してみると、神戸市立図書館ー栗東町、北海道立
ー甲西町、大阪富田林市立ー日野町、北海道斜里町立ー秦荘町、大阪吹田市立ー土
山町、大阪枚方市立ー志賀町、東京日野市立ー近江八幡市(新館建て替え)、千葉成
田市立ー高月町、福岡苅田町立ー能登川町、長崎森山町立ー愛知川町などだが(町
名は当時のもの)、これらは私が目にした滋賀の図書館について書かれた何冊かの
本に載っていた例だけ上げたもので全ての事例ではない。
巧妙だったのは、これらの館長候補者達を準備室長などの職名で開設準備の段階
から関与させたことで、ここらも前川ー県文化部ラインの働きかけによるものだろ
う。どの辺りから関わるか、また権限の程などは各自治体で違ったが、用地買収か
ら手掛けた館長候補者もいたというし、設営に関して腕を振るう余地は十分にあっ
たと思われる。
これにより何も知らない自治体職員が既存の施設なぞって造る金太郎飴ではなく
専門職が趣向凝らした個性的な図書館が滋賀県の彼方此方に出来あがっていく。
更に見込まれて引き抜かれてきただけあってこれら司書館長達の力量たるや半端
なものではなかった。魅力ある棚を作り、ユニークな催しを開き、サービス精神溢
れる運営で利用者増やしては驚異の貸し出し数を叩き出していく。
そして県立図書館はそれを全面的にサポートした。
一つの成功が近隣に刺激与え、新たな図書館建設計画が動き出す。
かくして滋賀は図書館先進県へと駆け上がっていった。
此処で思うのは歴史のパラドックスというか織りなす綾のようなもので、滋賀は
掛け値なしの図書館後進県だったからこそ比較的短期間で日本有数の図書館先進県
へと変身遂げることが出来たと言えるのではないだろうか。
通常新しいことを始めようとすると必ずと言っていいほど旧套墨守の反対勢力と
いうものが出てくるもので、曰く <昔からこの方式で何も問題はなかった> とか
<長年培ってきた伝統潰すつもりか>などと改革の行く手を阻み、結局の処妥協強
いられて中途半端な成果しか残せないということが間々ある。
また県外から優秀な人材持ってこようとしても <県内にも人はいる> などと横
槍入って、思うような布陣が組めなかったりもする。
その点滋賀は図書館に関し、全くの後進県なるがゆえに過去の実績にしがみ付い
ているような煩わしい人間も存在せず、前川を先頭とした「外来勢力」に対しても
教えを請うといった態度だったというから(総てがそうだった訳でもないだろうが)
仕事もやり易く、それが目覚ましい成果に繋がったと考えられる。
前川が県立図書館長の座を辞したのは1991年3月だった。前年満60歳を迎えてい
るので規定の定年退職ということになるか。県からは嘱託館長として残って欲しい
という要請もあったが、そういう曖昧な形は採るべきではないと峻拒し、甲南大学
教授へと転出した。
丁度この頃は、嘗て前川が「滋賀の10年後を見ていて欲しい」と言っていたその
時期に当たる。
では91年当時の滋賀の図書館の状況はどうかと滋賀県図書館年表を見れば、設置
率は県下50市町村中16自治体で32%、1人当たり図書貸し出し数は3.18冊で全国2
位(この年1位は東京 4.45)となっている。80年が設置率10%、貸し出し数に至っ
ては 0.6で全国27位(1位は東京3.12)だから躍進もしているが、設置率3割では未
だ道半ばという見方も出来る。ただこの時建設中乃至計画中の館も多数あり、92年
以降次々と開館して95年には設置率50%に達しと着実な歩みは続いていた。
それにしても80年のデータに依れば、滋賀県民1人当たり年に 0.6冊しか借りて
ないのにそれが最下位ではなく、まだ下に20もの県があることになっていて、これ
には目を見張った。80年当時日本の少なからぬ地域では市民にとり図書館は遠い存
在だったということか。今昔の感に堪えない。
前川が自らの後任に選んだのも(こう書いても差支えは無いだろう)やはり県外
からの招聘で、北海道置戸町教育長の澤田正春だった。図書館長を長く務め、道東
の山あいにある人口数千人(1970年代で8千人台、以後急激な人口減少が続き91年
当時は5千人弱)の小さな町ながら《北海道に置戸図書館あり》と全国の図書館人
に知られるほどの実績を残してきた。前川が後を託したのもその手腕と人柄など評
価してのものであろう。
それともう一つ滋賀の図書館建設もかなり進み、これからは人口も少なく財政基
盤も弱い小規模自治体が開設目指してくるので、それを県がどう援けるか、そのあ
たりに小さな町で活動してきた澤田の経験が生かされることを見越したのかもしれ
ない。
90年代も滋賀の「躍進」は続き、図書館の充実振りは広く知られる処となってい
った。「図書館先進県」などと言われるようになったのは90年代末から2000年に入
ったくらいだろうか。これという資料は見つけられなかったが、02年北海道新聞の
図書館扱った記事にはそのフレーズが見られる。
様々な統計でも上位占めるようになり、02年には遂に図書貸し出し数に置いて、
統計開始以来30年以上首位が指定席だった東京を抜き、1人当たり7.62冊で全国ト
ップに登り詰めた。東京を越える県が出るなど当時は驚天動地ものだったろう。以
後最新の09年統計まで毎年1位続けている。
この年の設置率、県下50自治体中39市町が図書館を構え78%だった。
そして現在「図書館先進県滋賀」の声望は揺るぎない。評価が高く、新聞や雑誌
に何度も取り上げられるような図書館が揃い、統計上も1人当たり蔵書数、貸出数
や登録者率、専任職員の司書率が1位で設置率、1人当たり資料費なども上位占め
ているのだから当然とも言える。
また他県ではジワジワ広がっている業務委託だが、滋賀では2010年度でも総ての
自治体が直営貫いていて、これも評価していいだろう。
しかし将来に渡り一点の曇りもないかと言うとそうでもなく、たとえば招聘や公
募で滋賀にやって来て一時代を築いた司書館長達も徐々に退任の時を迎えているの
だが、後任が専門職ではなく役所の人事異動の一環として扱われるケースが少なか
らずあり、レベルの低下が囁かれている。これに対して振興策が終了していること
もあり、県教委も県立図書館も静観というか自治体任せの様で、この流れが加速す
れば滋賀の図書館はどうなっていくんだろうと案じざるを得ない。
それと八日市市など7市町が合併して出来た東近江市(今の形は2006年から)に
は旧自治体がそれぞれ1つずつ図書館構えていたので7館あるのだが、いつの間に
か館長職は1人だけで、1人の館長が7館を統括するようになってしまっている。
代行はいるんだろうが、やはりそれぞれの館に館長がいて運営司らなくては個性あ
る魅力的な図書館にはなるまい。行き着く先は同質化から没個性ではないか。
嘗て旧八日市市立図書館には西田博史、旧甲西町立図書館には梅沢幸平(澤田の
後滋賀県立図書館長)、旧能登川町立図書館に才津原哲弘と県外にも知られた名物
館長がいて評価の高い図書館作っていただけに寂しいものがある。
それにしても7館で館長1人など他県でもそうはない荒っぽさで「図書館は人」
と言っていた先進県滋賀の内側では図書館への逆風が吹いているんだろうか。
八日市は琵琶湖の東、俗に湖東と呼ばれる地域にある。農村地帯にあって古くか
ら(聖徳太子の頃とも言われるが、まあ中世か)市場が開かれ、近世では街道が交差
する地の利を生かし、商業の街として賑わった。近江商人は地盤により小幡商人、
五個荘商人などと分かれ、商いの手法も違ったそうだが、この八日市近辺から出た
商人は延暦寺の荘園「得珍保」に由来して保内商人と呼ばれ、主として八風街道を
利用した伊勢との交易で稼いだという。
そして近代以降もこの地域の中核であり続けた人口4万の市だった。
と、過去形で書くのは05年、06年と合併重ね現在は東近江市になっているからだ
が、1市6町が一緒になっただけに何かと大変だろう。当然市域も数倍になった。
前夜泊まった宿の人の話では予約客から「今東近江市に入って○○にいるんだけど
此処からどう行けばいい?」などと電話で問われても、聞いたことのない地名でス
ムーズに答えられず「同じ東近江市なのになんで判らないの」と怒られることも近
年しばしばとのことであった。
前日の夕方は例により八日市の街を散策。高い建物は駅前の一画だけで、後は低
層の家並みが連なっている。観光地ではないので、けばけばしい飾り付けもなく、
しっとりと落ち着きある佇まいで、その何の変哲も無さが好ましい。
駅近くに本町通りというアーケード街があるが、開いてる店も疎らで見事なほど
のシャッター通りだった。ただ辺りの古びた町並みには戦前から続いてるんだろう
と思わせる風格ある構えの商店が何軒も見られ、それらはしっかり商い中である。
因みにこの街を通る鉄道は近江鉄道というローカルの私鉄である。私は東海道本
線の近江八幡駅で乗り換えてやって来たが、運賃は極高で10キロ弱の距離で 400円
掛かった。まあ私が日常で時折り使う総武線や東京メトロと比べれば倍以上に相当
するか。滅多に乗らない旅行者はともかく沿線住民は大変だろう。
地元の人によれば「日本で2番目に高い鉄道」ということであった。では1番は
何処かというと定説はないようで、どうも運賃の高さは強調したいが、この手の話
で1番というのは嬉しくはなく、そこで2番説が喧伝されているということか。
さて図書館である。八日市図書館は駅から5、6分の街中だが広い通りに面して
いて、それほど猥雑でもないまずまずの場所にある。一部3階建ての白い建物だが
割りとシンプルな構えで、80年代の作だなあと思わせる。これが90年以降だと図書
館ももっと意匠を凝らした装飾性の高い施設が多く見られるようになってくる。
この図書館の開館は上にも記したが1985年である。図書館過疎地の滋賀にも81年
大津、82年長浜、83年草津と新規の開設続いていたが、振興策制定後に計画が始動
し開設に至ったのはこの八日市が初めてで、ある意味滋賀にとり記念碑的な図書館
とも言えようか。実際「本を読むのは怠け者」と言われていた土地柄で、開館前は
「あんなもの造っても誰も行かん。閑古鳥が鳴くわ」と陰で囁かれていた八日市図
書館の、関係者も想像しなかった利用者殺到と高い評価という成功なくしては以後
の図書館設置の歩みもおぼつかないものとなったろう。
訪ねたのは土曜日の朝。10時の開館待ち、少し過ぎた頃に中へ。横腹から入る、
といった位置に玄関が設けられている。入れば1F図書室で、真っ直ぐ進んだ左手
にカウンターがある。
実は前日夕方の散歩の折にも図書館へは寄っていた。もう6時の閉館が近い頃だ
ったので新聞1紙に目を通しただけで退散と、少しの時間しかいなかったのだが、
一応館内の様子には目を走らせてきた。
その時カウンターには若い女性が4人入っていて閉館間近の繁忙捌いていたのだ
が、どの人も中々の仕事振りだった。利用者を待ち受ける構えといい動きの滑らか
さといい意識とスキルの高さ見てとれ、此処は間違いなくいい図書館と確信した。
それだけで判るのか、と言われそうだが、まあ外れは無いと答えておこう。動き
のいい館員が揃っている館は大小の違いはあれ、その規模なりに棚も充実している
ものだし、逆に蔵書も貧弱でどちらを向いて運営しているのか判らない様なボケた
図書館で優秀だと感じさせる館員を見ることはまずない。図書館とはそういうもの
である。
図書室の広さは玄関部分、カウンタースペース含んで38m×26〜7mでほぼ300坪
といった処。広くはないが、人口4万の市で80年代半ばの建設だから当時としては
奮発した方だろう。振興策の果実とも言える。
玄関のある側(こちらが38m)に新聞雑誌コーナーと児童エリアが並んでいて奥
の方が一般書のエリアとなっている。棚の本は活きのよさ感じさせ、相応の資料費
が回っていそうである。
更に雑誌も豊富。特に女性誌は約60誌が並び壮観でもある。この片田舎と言って
もいい東近江のさして大きくもない図書館でこういった光景目にするとは不思議な
思いすらある。
そして更にに重ねて更になのだが、利用案内もらって眺めていたら「★雑誌は」
という項があり「女性誌、車の雑誌など人気のあるものは、同じ号を2冊用意し、
最新号は、1冊を館内用に、もう1冊を貸出用にして…」などと書いてある。雑誌
の複本とはなんとも贅沢。東京の図書館が貧しく見えてくるではないか。
「188.5」「361.4」など分類は図書記号なしのシンプルな4次。概ね日本十進分
類法にそって並んでいるが、291日本地理と 292〜の外国地理の間に786アウトドア
を配したり「戦争と平和を考える本」など十進分類表の枠を越えてテーマを立て、
合致する資料を持ってきて棚を構成したりと独自の主張も見せている。
全体としては割りとオーソドックスな棚の作りで、他にこれといって目に付く点
もなかった。唯一748写真集が壁面の一画占め、数も7〜800冊はあったので「多い
な、写真が盛んな土地柄だろうか」と思ったくらいか。
一つ気になったのは見出し札で、私は探す本に辿り着く目印として重視している
のだが、此処のは木製で本と同じ形をしていて、それが本と同じ並びで埋もれてい
るので非常に見づらい。更に茶色地に白文字とあってなんとも不鮮明で傍まで行か
なければ読みとれない。これでは Markの用をなさないではないか。
それと厚みも 300ページ見当の単行本くらいあるので、これを薄いプラスチック
板で本の並びから少しとび出る形の札に換えれば見易く、開架全体でもう数百冊は
並べられると思うのだが、開館当初から使っていそうな年季入った札だけに愛着あ
るのだろうか。
席は新聞雑誌コーナーはソファー席など38ありまずまずと思うが、その他は一般
エリアの最奥部に8席の円卓とカウンター脇の参考図書、郷土資料など配した一画
に4人掛け机席が2卓、それと書架の側板背にしたスツール席が13あるのみ(児童
は省略)と少ない。資料提供・貸出重視派の図書館らしく学生の勉強部屋にはしな
いという意思の表れとも見えるが、絶対の方針のもとに席を少なくしたというより
開架室の広さとの兼ね合いで、座席設けるより書架を並べることを選んだからだろ
うな。
そして館内見歩くうちに気付いたのだが、この図書館には注意事項が一切掲げら
れていない。通常図書館には<館内では静かに>とか<飲食は禁止><携帯は使わ
ないで>などと利用者が守るべきルール(マナー)が掲示されているもので、これ
まで見た中には机の上から壁面、柱とヒステリックなまでに呆れるくらいの枚数貼
りまくっている館もあったが、此処は全く無し。
開館二十有余年、啓蒙も行き渡り今さらそんなもの貼り出さなくても利用者よく
わきまえてくれているという自信の為せる業であり、実際そうなのだろう。
利用者と図書館にとり幸せな関係と言うべきか。
この時児童コーナーで幼児が泣き出した。かなりの大声で館内に響き渡る。
するとカウンターから間髪をいれずといった素早さで女性館員が飛出してきた。
緊急出動という表情であり、身のこなしである。見れば手に小さな縫いぐるみを持
っている。なるほどこういうアイテムもちゃんと用意してあるのか。
そのまま児童コーナーへ急行すると、母親と一緒になって泣いてる子をなだめ、
たちどころに静かにさせてしまった。中々鮮やかな手並みで、さすがよく鍛えられ
てる。
2Fには風倒木とネーミングされた「環境情報を発信する資料コーナー」があり
環境問題やアウトドア関連の本や雑誌が置いてある。奥に喫茶カウンターがあって
1杯 100円で無農薬の豆を使ったコーヒーも飲める。カフェ併設の図書館はままあ
るが、そのほとんどは同じ建物にあるというだけで両者は画然と分けられているか
ら此処のように図書館の中に喫茶というのも珍しい。私の知る例では浦安市中央図
書館くらいか。運営は八日市図書館直営ではなく「人と自然を考える会」という市
民グループに委託されている。 此処にある本だけでなく下から好みの本を持って
上がってきて、コーヒー飲みながら読むことも問題なさそうだが、私には馴染みが
ないせいか、いささかの違和感もある。
その他2Fには会議室、研修室、70席の集会室もある。夏休みなどにこれらを自
習室として解放することはあるのだろうか。いささか気になる処だが、まあ此処は
やらないだろうな。
風倒木の奥にはもう一室あり「本のリサイクルショップ」となっている。図書館
によってはリサイクルコーナーなる一画を構え、廃棄する本を並べて入館者に無償
で提供したりするが、此処はショップと銘打つだけに販売で、雑誌が20円、文庫本
30円、単行本だと50円の値が付いている。規模も細々としたものではなく、ざっと
5〜6千冊が並んでいる。
一部家庭から持ち込まれたものもあるというが、大半は図書館の書庫から溢れた
本のようだ。量にも驚くが、単行本など結構キレイな本が多いことも目をひく。図
書費の乏しい図書館だともうボロボロになった古い本でも現役のまま書架に並んで
いたりするが、此処はその対極とも言え、こんなにキレイでまだまだニーズもある
だろうにと思われる小説などもリサイクルに回されている。どんどん買ってどんど
ん処分、ということか。図書費の潤沢さが分かろうというものだ。まあこれでも館
員は「以前に比べれば窮屈になって」と嘆いているのかもしれないが。
ほどなくして退去。久し振りにいい図書館に来たという満足感があった。ただ隙
の無さに若干の息苦しさを覚えないでもなかった。私のように稀にしか来ない人間
はどうでもいいが、住民や館員がそうでないことを願う。
◎本稿では敬称は略させていただきました。また下記の資料を参照させて
もらいました。
滋賀県立図書館のレファレンスにもお世話になりました。
記して謝意を表したいと思います。
・図書館の発見 石井敦・前川恒雄 NHK出版
・移動図書館ひまわり号 前川恒雄 筑摩書房
・われらの図書館 前川恒雄 筑摩書房
・いま、市民の図書館は 前川恒雄先生古稀
何をすべきか 記念論集刊行会編 出版ニュース社
・近代日本図書館の歩み・本編 日本図書館協会
・公共図書館サービス 小川徹・奥泉和久
運動の歴史2 小黒浩司 日本図書館協会
・図書館員として何ができるのか 西田博史 教育資料出版会
・ようかいち通信 西田博史 サンライズ印刷出版部
・滋賀県立図書館
創立50周年記念誌 滋賀県立図書館
・滋賀の図書館’93 滋賀県立図書館
・私達の八日市図書館〜開館20周年を記念して〜 東近江市立八日市図書館
・みんなの図書館 2003年4月号 特集滋賀の図書館 教育資料出版会
・図書館用語辞典 82年版 角川書店
・中小都市における公共図書館の運営 日本図書館協会
・市民の図書館 日本図書館協会
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