大阪市立東住吉図書館
漂着日 2008年4月
入っていけば正面左側にカウンター。その中にいる館員の黒いベスト着用の制服は
最近図書館でよく見かけるものであり、目にした瞬間背筋に軽いながらも衝撃が走っ
た。
「TRC( 株式会社図書館流通センター )が大阪にも進出してきている!」
予想してなかっただけに驚きであり、思わず胸の裡で「やめてくれよなあ」と呟い
ていた。TRC に個人的な怨みもないし、毛嫌いしている訳でもないのだが、中央資本
の地方浸食はやはり嬉しくない。各地、各館の個性が無くなるではないか。
TRC は図書館専門の出版流通業者。図書館のオーダーに応じ、フィルムコーティン
グしバーコードラベルを貼った本の納品や、MARC(MAchine Readable Cataloging)と
呼ばれる書誌データベースの提供などを本業としてきたが、近年我々利用者には図書
館スタッフの供給元としての姿を見せている。要するに業務委託だが、多年に渡り図
書館をサポートしてきた実績からか、そのシェアは抜けている。
朝日新聞は2009年6月1日紙面で公共図書館の業務委託を取り上げているが、それに
よれば全国約3000館のうち委託は約17%に当たる516館で採られ、その内約190ヶ所を
TRC が受託し最大手である、とされている。
東京でも当然委託の館は増えている。私が住む墨田区は全館、隣の江東区も半分の
館をTRC が受託していて、よく図書館を利用する私はTRC スタッフに接することも多
いのだが、能力面ではいつも物足りなさを感じている。不安定就労とあって出入りも
激しく、入れ替わり立ち替わりでスタッフ送り込まれてくるから、ここ数年で各館合
わせ延べ 100人以上は見てきたが「図書館をよく知っていて、仕事も出来る人だ」と
評価出来たのは2人だけだった。 ま、所詮850円〜900円の時給で掻き集めてきたア
ルバイトだけに、そう高いレベル求めても無理なのは分かっているが。
ただ何年も続いているスタッフにもあまり成長の跡が見られないのは問題で、この
辺りが委託制の限界かなとは思う。
これでも墨田区でTRC への委託が始まった時には「墨田の図書館のレベルも上がる
かな」と期待もしたのだ。2000年頃からTRC のことは知っていて、図書館をサポート
し、図書館と共に歩む良心的企業みたいなイメージを持っていたので、司書資格を持
ちしっかり研修受けた優秀な人材を揃えてくるのだろうと思ったのだが、それは大い
なる錯覚だった。やって来たのは張り子のトラばかりでガッカリさせられたし、TRC
への信頼感も低下したものだ。これは墨田区のみならず、何処の自治体でも同様だっ
たと思う。
TRC に言わせれば、あの委託料では資格持った優秀な人材を揃えられるわけないよ、
という処かもしれないが、その理屈が成り立つにしても委託事業に手を広げることで、
これまで培ってきたTRC の良質なイメージ相当棄損されたことは間違いない。
と書いてくれば、何か私が委託制度を批判し、以前はよかったと言ってるように取
られるかもしれないが、こと墨田区に限って言えばそうでもない。人により評価の仕
方は違うだろうが、私は前の墨田区職員と非常勤による直営時代より、物足りない点
は多々有るけれど今の委託制の方がまだましになったと感じている。
要は以前の墨田区図書館はどうしようもなく非道かったのだ。
非常勤の人達は未だしもだったが墨田区職員にお粗末なのが多かった(もちろん全
員ではない)。好きで選んだわけではなく役所内の移動で回されてきて、2年もした
ら又何処かへ移っていくというのが大半だから、とにかくやる気がない、知識がない、
利用者と良好な関係を築こうという気もないと、ないない尽くしである。更に書けば
それが問題だとする意識もなかっただろう。
いま振り返れば、それでよく我慢してたなと思わないでもないが、何しろ十数年前
墨田に転居してきた時にはもうそんな状態だったし、私も当時は図書館にそううるさ
い方でもなかったからこんなものかと適当に流してきた。毎日行く訳でもないし、行
っても貸出手続きくらいしか館員との接触もないし、ということもある。
それでも「なんとかならんものか」と1度だが教育委員会に電話したことはあるし、
カウンターで怒鳴ったこともあった。が、‘暖簾に腕押し’その場取り繕って終わり
である。
既に出来上がっている風潮、意識を変えようとすれば、こちらも腹を据え相当なエ
ネルギー注入して掛かる必要あるが、其処までやる気もなかった。
ある時(2000年前後だったか)ある館のカウンターで初老の男性がクレーム付けて
いるのを目にした。始まりは見てないので何があったのかは判らないが、相手する男
の職員は横柄な態度で受け流しまともに取り合おうとしない。利用者の男性が怒りを
募らせ「区の方へ話持って行くぞ」的なことを叫んだら「ああどうぞ私△△です」と
さっさと自分から名乗り、後は横を向いて知らん振りである。堂々たるふてぶてしさ
で、利用者など眼中にないと言った風である。問題にならないと高をくくっているの
か問題になっても組合が守ってくれると安心しているのか。どこかもうどうなっても
いいんだとばかりの荒みも見てとれた。
区民に対し公務員がそんな態度でいいのかと糾弾したい場面だが、クレーム付けて
る方の物言いも感心したものではなかったので、加勢する気も起きずただ眺めていた
だけだった。直営方式時代の墨田区図書館表象する光景として今も記憶に残っている。
此処までひどいのは滅多にいないが「ダルそうに物言わず、もっとハッキリ喋れ」
「仕事なんだからもっときびきび動け」「カウンターで私語するんじゃない」といっ
たレベルの連中は毎年毎年やってくる。
図書館は落ちこぼれの吹き溜まりかと思っていたが、どうも案の定だったようだ。
‘ず・ぼん(ポット出版刊)’という図書館テーマにした本のような雑誌のような
刊行物があって、その第9号(2004年4月発行)で東京の図書館員集め「委託はどこ
まで拡がるのか」という座談会やっているのだが、其処で図書館歴12年という墨田区
職員はこう語っている。墨田区の人間が言うのだから当然墨田の事例だろう。
「若くて優秀な人はまず(図書館に)回ってこないのです。この人は仕事をしてい
ませんと人事記録に書き込まれているような人だとか、病気でよく休む人とか、そう
いう人たちがいっぱい来るわけです。」
読んでなるほどやっぱりそうかと合点がいった。「そういう人たち」がいっぱい来
たんじゃああなるわなあ。
まあ委託導入でそういった鬱陶しい連中が図書館から消えてくれたのは喜ばしいこ
とである。また委託スタッフは利用者に相応の敬意払って接するから、雰囲気も良く
なっている。委託制導入の果実と言えるだろう。
勿論これは以前非道かった処がましになってよかったというレベルの話で、委託が
いいと結論づけているものではない。今の委託制には問題ありとするのは上の方で書
いている通りである。
住民、利用者に奉仕する心を忘れず、研鑽を積んで業務に精励する
高いスキルを持った専門家集団
というのが私の求める図書館員の姿なのだが、さあどう実現していく。
さてTRC の姿見たばかりに話は大阪から東京へ行ってしまったが、ここでようやく
大阪へと舞い戻って来た。
東住吉図書館は名前から分かるように大阪市南端の東住吉区にある。此処から南へ
2km余り行けば市境流れる大和川に行き当たる。周囲は住宅街で、長屋や間口の狭い
2階建家屋がひしめき、庭のある家はあまり(ほとんどか)見られないという典型的
な大阪の下町である。
コミュニティ会館、老人福祉センター、子育てプラザなどが入る複合施設の3Fに
ある。昨今は複合施設と聞けば自然と周囲圧する凝った造りの大規模施設を思い浮か
べてしまうが、此処はささやかな3階建の質素なビルで、この金の掛けなさ(金の無
さ?)にいかにも大阪的なもの感じてしまう。
図書館は建物がそうなっているからなのだが、南北に細長く伸びた形をしている。
事務室、トイレなど除いた図書室の正味幅は精々10mといった処か。奥行きがざっと
30m。10mx30mに最奥の成人エリアが拡がっているのでその分加えて3百5、60u
というのが私がみた図書室の広さで、まあ外観同様ささやかなものである。
因みに大阪市立図書館ではHPで各館のデータを公表していて、東住吉も延床面積
629uうち閲覧室385uと出ているので、最初からそちらを紹介する手もあるのだが、
なるべく自分の目を通した情報を伝えるように心がけている。
此処の場合はそう開きはないが、図書館に依っては展示コーナーや通路部分をどう
扱うかで、すぐ2割3割の違いが出てくるから公表の数字をそのまま書いては実感と
合わなくなるのだ。
私が割り出した数値も目測+歩測なので正確かどうか怪しくもあるのだが、まあ大
体の線は出ているのではないかと思っている。
この図書館は初めてではない。何度も、それも相当回数利用している懐かしい場所
だとも言える。
何を隠そうと勿体つける程ではないが、私は東京墨田区へ転居するまでは此の直ぐ
近くに住んでいた。区は違って住吉区だが、家から此処までは自転車使うと長居公園
という陸上競技場、植物園、私が週に何度かは走っていた1周2.813 Kmの陸連公認周
回コース(15周すると42.195km)もある大規模公園突っ切り10分余りで来ることが出
来る。
逆方向に市立住吉図書館もあり、其方も利用していたが、距離的に近いので東住吉
へ足を向けることが多かったと記憶している。
ただ頻度はそれほどではない。精々月に1度か2度といった処だったか。
なにしろあの頃(概ね1980年代)の私は遊びに仕事にフル回転で、図書館へ行く時
間を作るのも一苦労だったのだ。
年に何度も旅行してたし、日頃はその費用を稼ぐため月曜から土曜までせっせと仕
事に励み、夜も残業してるか長居公園でランニング&筋力トレーニング、日曜には市
民マラソン大会出場や自転車での遠出など「無駄な時間など1秒たりともない」とば
かりに駆け回っていた。
従って図書館へ行くのもままならず、考えてみれば子供の頃は別にして、私のこれ
までで最も図書館と距離があった時代と言えるかもしれない。
此処は上にも書いたように小さな館である。入口すぐの処に今日の新聞が置かれ、
その向こうに児童用のカーペット敷いた区画がある。
向きを左に変え、右側にカウンター見ながら進むと書架が並んでいて、最奥が成人
のエリアだが、小さいだけにすぐ行き着く。
当然ながら棚も少なく本も少ない。通常日本史関連はかなりのボリュームゾーンな
のだが、此処では210から219まで全て合わしても 320冊しか並んでないのだから他の
分野の少なさも想像がつくと思う。
そして分類だが3次あり4次ありの混在型。210日本史、291地理、361社会、783球
技など比較的冊数が多い分野は4次分類されている。まあ此処の開架に並ぶ冊数なら
3次止まりでもさほど不便かこつこともないが、4次まで分類してあるに越したこと
はない。
ただ棚はやや乱雑。この量なら整理も簡単だろうと思うのだが、小規模館だけに人
の配置が少なく手が回らないのだろうか。
因みに大阪市は西区に 170万冊の蔵書持つ中央図書館があるのだが、其処では4次
〜5次分類でしっかり仕分けられている。
閲覧席は少ない。新聞コーナーに5席、4人用机が3つで12席、後は書架の切れ目
にポツリと置かれた小さな椅子が2つあり締めて19席のみ。人口過密地帯でこの席数
では図書館でゆったりとしたひと時を過ごすなど不可能な話だろう。椅子なども実質
本位というか必要最低限の機能を備えただけのもので、くつろぐとかいった観点は皆
無である。
ま、大阪市の図書館でそれを求めるのは、砂漠で鯛の活造りを所望するくらい無理
な注文だと元市民としてはよく判っている。此処の利用者はみな何時の間にか、図書
館は長居する所ではないとかいった刷り込みされていくのではないか。
私もかつては通っていたのだが、そのことに関しての記憶はすっかり飛んでしまっ
ている。ただ此処でノンビリ本を読んでいたとか、長居した記憶もない。
それと今回1つ目に付いたのはカウンターがやけにいい場所にあるな、という点。
窓を背にした一等地で、本来閲覧席などを置くのが相応しいと思われる一画を占拠し
ている。カウンターがそんないい所にある必要はないだろう。それより向かいの事務
室、トイレがある側に持っていった方が利用者は窓際のいい場所を使え、スタッフも
事務室との連携が取り易いからいいのではないか。実際ほとんどの図書館ではそうい
う配置になっているはずである。
此処には、東京へ引っ越した後も1、2度は来たことがあるので、ざっと10年振り
くらいか。久し振りに来て思うのは小さな図書館だなあということ。貧弱という言葉
使ってもいいか。13万5千人が住む東住吉区にこれ1館なのだから、なにか哀感漂っ
てきそうな話ではないか。
だけど昔利用してた時はそういう意識はあまり持たなかった。規模や質に注文つけ
るなど贅沢なことで、図書館があるだけありがたいといったレベルである。
なにせそれ以前は空白だったのだから。
大阪は昔から‘文化不毛の地’で、文化に金を掛けない土地柄と言われてきた。そ
れを受け継いでかどうか知らないが(金が無かったからとも言われる)大阪市の文化
行政も貧弱なもので、図書館の整備なども長く放置され、1970年代初めで中央図書館
と分館2しかないという有り様だった。 ――後は府立図書館が中之島(北区)と
夕陽丘(天王寺区)にあったのみ―― 因みに当時市民約 280万人である。
ようやく70年代になって図書館網の構築に取りかかり、各区(当時22で後分区、合
区があって現在24)に1つ地域館を作る、という計画を打ち出したのだが、当時少な
からぬ市民は「ホンマに出来るんかいな」と半信半疑の反応示していた。実は私もそ
うだった。未だ年少で社会経験も乏しかったから、22区全てに図書館を作るなどなん
とも壮大な計画に思え、実現危ぶんだものだ。
しかしそれは幸いにして杞憂に終わった。市は72年から毎年1、2館をコツコツ作
り続け、時間は掛かったが89年に至り、全区に図書館という計画は達成された。
その間は丁度日本が豊かさの階段登り続けた時期であり、大阪市のような貧乏自治
体にも富の配分が回ってきたからこそ可能だったのだろう。
さてそれから20年。久々訪ねた元市民、現在東京都民の私の目には嘗てさして不満
なく使っていたものも「これではなあ」と物足りなく写る。これは成長か贅沢か。何
れにせよ求めるレベルは高くなっているわけで、もし私が今も大阪市民でいたら厳し
い注文連発しているに違いないが、肝心の現市民はどう捉えているのだろう。
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