佐賀県立図書館

                                                  漂着日  2008年3月
  、

 これは私だけでなく、日本に住む多くの人が感じていることだが、佐賀はどこ
となく影の薄い県である。福岡と長崎に挟まれ、目立たず、ひっそりと息づいて
いるといった趣がある。
 存在感の無さでは九州では筆頭だろうし、全国的に見ても最下位争うグループ
に居ることは間違いない。
 これでも近年はまだ吉野ヶ里遺跡の登場や、夏の甲子園で94年に佐賀商高、07
年には佐賀北高が優勝するなど、全国区で通用するアピールポイントも出来、認
知度も上がってきているが、80年代頃までは、佐賀県民が東北旅行に行ったら、
佐賀?そんな県あった?みたいな反応の連続で、いかに佐賀が知られてないかと
いう現実知りショック受けて帰った、といった話の類はよく聞いたものだ。

 こんなことばかり書いてると佐賀県民の怒りを買いそうではあるが、実は佐賀
県民自身が佐賀の名に引け目感じてるのではないかと思える節もある。
 これもよく聞く話だが、九州人が本州へ行って在所尋ねられた時、他県民は、
鹿児島です。熊本です。長崎です。と県名のみ言うのに佐賀県民だけは何故か、
九州の佐賀です、と枕詞に九州付けて答えるそうである。
 佐賀だけでは通用しないのではないかという気遅れのなせる業か。
 まあサガがふた文字で、佐賀です、と言っただけでは素っ気ないので九州を付
けるようになったのだ、という説もあるが。

 そんな佐賀県の主星佐賀市へとやってきた。午前中は有田の街をウロつき、上
有田駅から佐世保線、長崎本線と揺られ昼1時過ぎの佐賀市入りである。
 有田では重要伝統的建造物群保存地区に指定されているセラミックロードや、
登り窯に用いられた耐火煉瓦の廃材や陶片などを赤土で塗り固めたドンバイ塀通
りなど行きつ戻りつしながら散歩楽しんだが、一番印象に残ったのは磁器原料の
陶石を採掘する泉山磁石場であった。
 有田の起点とも言える場所だが、もう長く休坑中で、この日も無人であった。
展望台に立つと、眼の前に道路よりかなり掘り下げられた石の原っぱが広がり、
奥に岩肌が剥き出しで、坑道らしものが穿たれた小山が見える。
 どこか空虚さ漂わせる荒涼たる眺めで、惹きつけられるものがある。
 実は手前の原っぱも元は山で、陶石掘りに掘ってこの景観になったという。磁
石場に掲げられた説明文に ――四百年かけてひとつの山を焼き物に変えた――
という一節があり、時の流れと人の営みの壮大さ思いはしたが、同時に宴の後に
立ち尽くしているかのような侘しさも湧いてきたものだ。

 さて、佐賀市に戻るが、佐賀駅で降りるも何時以来となるか。十数年前に1泊
したことはあるが、大抵が長崎の往き還りに通り過ぎるだけで、佐賀の土を踏む
のも実に久し振りである。今回佐賀に降りたのも半分は気まぐれのようなもので、
例の如く予定も無ければ何も調べていない。また面白い処でもないかと探す気も
ない。
 当然ながら図書館の出番となる。
 今日は月曜日で公共図書館は休館の処が多いのだが、県立なら開いてるだろう
と踏み、駅頭の地図で場所を確認。月曜開館の保証はないが、問い合わせるまで
もないだろう。行って閉まってたら、散歩に来たと思って諦めよう。

 駅を背に、佐賀のメインストリートを真っ直ぐ南へ10分余り歩き、歴史感じさ
せる濠を越えると、佐賀城址である。現在は佐賀城公園と呼ばれ文教施設などが
集まっている。
 佐賀県立図書館も此処にある。
 公園の中にあるだけに環境はいい。建物はバルコニー廻らせ、時代がかった2
階建。県立図書館としてはさほど巨艦ではないが、風格は感じさせる。もちろん
一般的な2階建よりずっと高いのは言うまでもない。
 
 1Fには児童図書閲覧室、書庫、食堂、展示ホール、事務室、会議室などが配
されている。
 私は児童の方はあまり興味無く、此処も外からチラと見ただけだが、児童室は
やけに狭かった。これで間に合うのかと気になる処だが、街の真ん中なので、子
供の利用もそう多くないのかもしれない。県立だけに、市民向け直接サービスに
はそれほど力を入れてない、という訳ではないとは思うが。

 階段で2階へ上がると、開架書架閲覧室。書架が連なり、閲覧用の机が並ぶ。
何処で見ても心躍る風景が広がっている。
 事務室などは別にし、カウンター前から見渡せば、奥行きざっと二十数mとい
った処か。横幅も同じ位あるかもしれない。中央に光庭と名付けられた採光のた
めの内庭設けられていて、上から見れば回の字の形をしている。
 光庭の窓際に机が並び、通路部分挟んで、取り巻くように書架が配されている。
内回りが閲覧席、真ん中が通路、壁に沿った外回りが書架という三重円構造(正
確期せば円ではなく矩形だが)とでも補足しておけば、少しはイメージしてもら
えるだろうか。
 席は150~160人分くらいはあるか。此の館には他に学習室とかは無いようで、
社会人も学生も高校生もこの光庭周りの席を利用するようになっている。今日は
それほど混んでなく、空席がはるかに多いのだが、試験前とか夏休み中などはど
うなんだろう。1Fに会議室とかあったけど、混雑時は開放もあるのだろうか。
 
 フロアー取りあえずの一回りの後、新聞を読もうと思った。今日は有田でも読
まず、移動時間も短かったので、買うこともなかった。フロアー回りながら捜し
てもいたのだが、保存版はあれど今日のは見当たらない。
 館内表示に依れば中二階にあるとかだが、さて中二階とは何処のこと?
 此処はやはり2階だろうが、上がってくる途中には何も無かったしな。
 見上げれば、この階の中二階に当たるスペースもあるが、全集のような本が並
んでいて、新聞を置いているとは思えない。階段の上から踊り場へ視線送ったけ
ど、やはり何も無い。
 どうも判らん。尋ねてみるか。

 カウンターには若い女性館員が座っていた。近づいて行って初めて顔を見たが、
中々の美人である。黒々とした長い髪、涼しげな目許の端正な顔立ちをしている。
清楚な感じが図書館に相応しい。
 一言で表すとしたら「佳人」という言葉がしっくりくるだろう。しかし、ちょ
っと冷たそうでもある。新聞の場所を訊いて、ちゃんと表示してあるのにそんな
事判らないのか、的な反応返ってきたらどうしよう。
 いささか気後れ感じつつ質問したのだが、その瞬間女性の顔から笑みがこぼれ
た。笑うと意外に愛嬌感じさせ、周りがパッと明るくなった気がしたものだ。
 あるいは女性の方も、近づいてくる私を見て、なにか訳のわからないこと訊い
てくるんじゃないだろうな、と身構えてた処、他愛ない問いだったので気が緩ん
だのかもしれない。

 教えてくれた場所は、やはり下だった。礼を言って階段下りて行くと、さっき
は気付かなかったが踊り場の壁面にドアがあり、その奥が新聞閲覧室になってい
た。傾斜のついた閲覧台に新聞がセットされ、利用者は立って読むスタイルであ
る。必要な人は使ってくれと、壁際に椅子が1脚置いてある。
 県立などによくある方式だが、もう座ってくつろいで読んでもらうということ
考えてもいいのではないか。さして広くはないが、この部屋なら20席位は設けら
れるはず。確かに新聞の回転は悪くなるし、居眠りされるのも嫌なのだろうが、
そこは工夫していい対処策考えてくれ、立って新聞読ませる時代じゃないでしょ
う、と言っておこう。

 新聞何紙か読んで、再び2Fへ。
 今度はゆっくり棚を見ていったが、さほど特徴的なものは見られず普通、堅実
という印象であった。マンガを置いてないこと、小説は作者別だが、五十音順で
はなくアルファベット順で並べられている事には気が付いた。まあその程度か。

 その後雑誌など開いてノンビリしていたが、ここでまたしても地図のコピーを
思い出した。九州最後に行く国東半島の地図が要るのだ。長崎県立図書館で1枚
コピーしてもらったが、縮尺が物足りないので此処にいいのがあれば、手に入れ
たい。
 それと明日鹿児島で歩いて約20キロの峠越えを行程に組んでいるので、その
道筋の確認もしておきたい。こちらは出発前に何回も地図を見て頭に入れてきた
判り易い道なのでコピーの必要はなく、念のため見ておくだけである。
 
 さあ地図は何処だろう。まず浮かんだのは 291地理で、行ってみたが見当たら
ず。そうすると図書館によってはカウンター付近もしくはカウンター置きの場合
もあるから此処もそうだろうか。
 あまり時間も掛けられないから訊いてみよう、と再びカウンターへ。

 座っていたのは先程の「佳人」である。一度言葉交わして少しは人柄も伝わっ
てきているので、今度は緊張することもない。
 「地図は何処でしょう?」と尋ねると「どのような地図でしょうか?」という
確認が返ってきた。「九州の分県地図か道路地図のようなものを」と答えると
「それでしたら」と言うや否や、ぱっと飛び出してきて(㊟カウンターを飛び越
えた訳ではない。当たり前か。)「こちらへ」と私の先に立ち案内する。
 姿のいい長身を屈めながら半身の体勢で私を誘うのだが、その颯颯颯と滑るよ
うに進む身のこなしと足捌きは見事なもので「おぬし中々やるな」と声掛けたい
くらいであった。何かのスポーツで県代表クラス、あるいはそれ以上行ったのだ
ろうな、と思わせる。
 
 連れて行ってくれたのは辞典も並ぶ参考書類の棚で「こちらにございます」と
地図の在り処掌で示し、女性はまた素早くカウンターへ戻っていったが、吹き抜
ける爽やかな風に全身ほぐされるかの心地よさがあった。
 図書館的に見れば、わざわざ案内しなくても言葉で教えれば十分で、カウンタ
ー空けるべきではない、という意見もあるかもしれないが、利用者としては親切
な館員の気持ちいい対応だと素直に喜びたい。
 それにしても、軽快なフットワークだった。

 そして地図だが、此処でも縮尺が物足りなかったので、国東半島のコピーは断
念し、明日の行程の最終チェックをするに止めた。
 ここで、先の長崎県立図書館は地図のコピーに際し著作権にやたら厳しかった
が、此処佐賀県立ではどうなんだろう? 必要無いけど何か1枚コピーに行って
試してみるか、という考えが湧いてきた。
 しかし、これは実行せず。興味本位で要らないコピー取るというのも褒められ
た行為ではないな、と思ったからで、まあこの図書館では胸に蟠る様なことは止
めておこう。
 
 そろそろ退散しなければいけない時間帯に入ってきた。最終チェックという訳
でもないが、フロアーを漂う。
 ここに来て、改めて感じるのは館内静かなこと。今日は空いている方なのだろ
うが、それでもこれだけの図書館だけにこのフロアーだけでも4、50人はいる
はず。それが実に静かで、見れば皆調べ物、勉強に没頭している。
 閲覧席の脇を通りながら、それとなく目を遣ると、かなり高齢の女性が理系の
専門書を熱心に書き写していて、ノートは細かな文字で埋められている。社会人
と思しき男性がやはり何かの専門書に読み耽っている。高校生達も私語すること
なく黙々と勉強している。
 館内にぴんと張りつめた空気漂い、あたかも70年代頃の図書館に立っているか
のようで、郷愁覚える光景でもあった。
 
 と同時に、県民競って来たるべき日に備え研鑚積んでいるかにも見え、気圧さ
れるものもあった。日本中が浮ついて地道な努力疎かにしているかの今日、この
姿勢と蓄積は生きるのではないか。
 この先、歴史の転換点で佐賀県人が幕末維新以来再び光彩を放つ。そんな日も
来ないとは限らないだろう。
 
 「佐賀侮るべからず」 
 思わぬ言葉がふと零れおちた、佐賀県立図書館訪問であった。


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