酒田市立図書館
                                           
                       漂着日 2008年5月
 日本海側を緩やかに北上し酒田へと至った。
 言わずと知れた北前航路の寄港地として栄えた湊町で、山形県では数少ない(3
市しかない)人口10万超の自治体である。
 90年代に来たことはあるが、泊まらなかったし、滞在そのものもさほどの時間で
はなかったので、何をしたか皆目浮かんでこない。
 更にそれ以前の記憶たどれば、申し訳ないことに通過ばかりである。
 80年代、ひと夏北海道で遊び、夏の終わりに当時住んでいた大阪へ還るべく日本
海側を奥羽線、羽越線、信越線、北陸本線と列車で何度も駆け抜けたものだ。少な
く見ても5、6回はあっただろうか。「急行きたぐに」「特急白鳥」という名が追
憶と共に甦ってくる。

 酒田駅前にそれほど賑わいはなく繁華街は1kmほど離れている。本町に中町、江
戸期北前船と最上川水運盛んな頃は酒田商人の問屋が軒を連ねていたという。今は
漫ろ歩くに最適な商店街だが、シャッター通りにはなってないものの道行く人は少
ない。まあ月曜の昼下がりということもあるのだろう。
 繁華な一画突き抜けると新井田川に達するのだが、対岸に山居倉庫が見える。現
役の農業倉庫だが、同時に歴史的建造物であり、更に酒田きっての観光資源ともな
っている。
 今も農協(JA全農庄内)の倉庫として使われているが、敷地内に入り傍へ寄って
自由に見ることが出来る。但し中へは入れない。(資料館として開放されている棟
はある)
 黒瓦の二重屋根に白壁の堂々たる土蔵造りで、幾星霜に耐えてきた風格醸し出し
ている。
 資料に依れば酒田米穀取引所付属倉庫として最初の棟の建造が1893年(明治26)
で、築 115年ということになるか。93年に7棟、翌94年4棟、95年2棟、96年2棟
と15棟が建てられたが現存は12棟で、内資料館に1棟、物産販売館に2棟が転用さ
れていて、今なお現役張っているのは9棟であるらしい。
 間口7間半、奥行16間の1棟約 120坪。4斗入米俵 16442俵を積んだとある。
 現在は紙袋に代わっているが、30kg入 27000袋を貯蔵。20段の高さに積み上げて
保管しているそうだが古い倉庫ゆえかあまり機械化がされていず、今も手積みとの
ことであった。
 裏にケヤキ並木があるのだが、これが実にいい景観もたらしている。山居倉庫の
屋根よりはるかに高く、空に向けすっくと立つケヤキの姿は美しく、裏側が黒板壁
になっている建物との調和も絶妙である。
 並木の下を行きつ戻りつ、暫し逍遥したがなんとも気持ちよかった。
 本来この並木は景観のためというより西日を遮って米蔵の温度上昇を抑え、また
冬の季節風を防ぐという役目を担っているという。
 そこで興味深いのはこのケヤキ達は樹齢約 150年と見られていることで、そうす
ると山居倉庫の建造よりなんと30年以上早く植えられていたことになる。
 これはどういうことだろう。遠大な長期展望のもと何十年後か先の米蔵建造に備
え前もって植えたのだろうか。それとも中州に植えたケヤキ並木が程良く育ち、こ
れは適地ということで蔵を建てたのだろうか。
 このページ作成中、それが気にかかって前へ進めなくなったので樹齢 150年説の
正確度も含め酒田市役所の観光課へ電話して尋ねてみた。答は
 ・樹齢 150年は大体その通りであろう。
 ・ケヤキの方が30年早い経緯は記録がなく判らない。ただ倉庫建設に合わせ他所
  から移植された可能性もある。
とのことだった。
 移植か。そう言われればそれが一番理にかなっているようでもある。ただ30年物
でもかなりな大きさだろうし、これだけの本数(数えてはいないのだが30本前後く
らいあるか)運んでくるのは明治の頃としては大変だったろうな。
 直に山居倉庫へ問い合わせればもっと詳しいことが判るかな、とも思ったが、市
の観光課ならともかく農協の倉庫に本業と関係ないことを尋ねるのも気が引ける話
で実行はせず。全て明快になるより少し謎めいた処も残しておく方が、旅の余韻と
して面白い。

 
 さて図書館である。酒田市立中央図書館は駅を背に真っ直ぐ進み、旧羽州浜街道
を越えた少し先にある。駅から徒歩で7、8分。繁華街へ向かう途中を左折せずに
直進という位置関係になるか。独立館ではなく総合文化センターというホールや公
民館などがある複合施設の中にテナント然として入っている。
 これまで見てきた処では複合施設の中の図書館であまり感心した例はないのだが
此処はどうだろう。

 図書館は3階に参考図書室、学習席、事務室があるが、施設の大半は1階に集中
している。入っての第一感は「狭いなあ」。これでは10万市民の需要を満たすこと
は到底無理だろう。一昨日訪ねた人口4万人弱の小千谷市立図書館の方がずっと広
いではないか。
 奥まった部分が階段状に欠けていたりするので、簡単に何mx何mとは言えない
が、ざっと計算するとトイレ、階段部分も含めて1Fは600平方m弱、5百7、80と
いうあたりか。
 これと同じ広さで、もう1フロアー欲しいね、という処ではある。
 利用案内を見れば分館もあるが、これらは2005年に合併した旧八幡町、松山町の
町立図書館を転籍したもので、中央館の利用者を分散するため設けた分館ではない
ようだ。
 
 当然館内の構成も窮屈なもので、ゆったり感には乏しい。閲覧席の配置も、とに
かく空間に机を押し込んだとでもいった気配がある。
 その閲覧席は机席、ベンチ、スツールなど取り混ぜて55席。この他3Fに学習席
が60ある。苦肉の策か、窓際の柱脇生かした小卓の席が7つ設けられていて、これ
がなかなかいい感じである。机が床から60cm高、椅子も座面で40cm高と低く、大人
が書きものするにはやや不便なのだが、1人席で孤独感もあり落ち着ける。窓の外
は公園風になっていて、木々の緑が広がっているのも気持ちいい。
 
 入場して直ぐ右が児童コーナーだが、これがまた8mx8m大の極狭サイズであ
る。人口5千の町の図書室並みで「これしかないのか」と絶句してしまった。
 さすがにこれだけということはなく、後で判ったのだが同じフロアーのエントラ
ンスホール挟んだ向かいに低年齢層対象の絵本、紙芝居などを置いた児童図書室が
あった。ただ此方も外から見た処では相当狭く、2つ合わせても十分なスペースが
確保されているとは、とても言えない。
 それにしても面妖な配置だ。好き好んでやっているとも思えないのだが、開館時
からこうなのだろうか。

 分類は「188ク」「210ヒ」というふうに3次止まり(ラベルは2段で表記)で、
210日本史 など1000冊余が原始・古代から現代までゴチャ混ぜになっている。
 毎度書くことながら、閉架の頃ならいざしらず、利用者が自由に書架の前に立ち
本を選ぶ開架の時代に3次分類で済ませているなど利用者無視も甚だしい。
 こういうのを目にするたび疑問に思うのだが、此処の館員何を考えているのだろ
う。いや何も考えず前例踏襲で日を送っているからこういう配架で平気なんだろう
か。利用者として図書館使ったことないのだろうか。

 それにしても本が少ない。館内の掲示板に「意見箱」に投函された利用者からの
質問とその回答が貼り出されているのだが、その中の1つに資料の数に触れたもの
があり、それに依ればこの図書館は開架で 75000冊並んでいるという。
 ただ私の眼には棚もそんなに多くはないし、その数はいささか怪しく映る。まあ
私も全体見回した感じで言っていて、細かに計算積み上げた訳でもないからそれほ
ど自信もないのだが、実際並んでる本は同規模館と比較すれば確かに少ない。
 210日本史こそ1000冊余あってまずまずだが、291日本地理が300冊余、493内科学
でも2百2、30冊、783球技に至っては200冊余りしかない。普通野球だけでこれく
らいあって不思議はないのだが。
 それとコンピューター関連も昨今は需要が高く、何処の館も沢山並べているもの
だがこれも「エッ」と言いたくなる位少ない。まあ貸出中もあるのだろうが 007情
報通信に7、80冊、547通信工学に100冊余り、それと336経営管理に Wordが数冊あ
るのを見た程度である。
 更に郷土資料だが、酒田ほどの繁栄の歴史を持っている市なら別に郷土資料室を
構えていてもいいくらいのものを、壁面の書棚の隅を90cm幅6段で4列占めている
だけとささやかなものだ。
 他にヴォリュームゾーンも見当たらず、本当にこれで 75000冊並んでいるのか。
疑問は深まるばかりである。

 壁に〈本の場所や調べ方のわからないときは職員に… 〉という掲示が出ている
が、それに依ると此処では名札を見れば館員のスキルが判るようになっているとい
う。名札にカラーのラインが入っていて、緑→青→ピンクの順に、一般的な事柄→
専門知識の必要な事項、と対応範囲が明示されている。
 要は緑ラインの館員に込み入ったレファレンス求めても、答えられない率が高い
からピンクの館員捜して訊いてくれということらしい。
 この時館内では比較的若い女性が3人、中年の男性が3人勤務中だったが、名札
を見れば女性は全員ピンク、オジサン達は揃って緑だった。
 推測するに女性達は図書館員として採用されているのだろう。あるいは非常勤か
もしれない。対するオジサン達は酒田市の行政職員で役所内のローテーションによ
り図書館に回されてきて、名札の色が変わることもなく、また直ぐに何処かへ行っ
てしまうのだろう。季節柄上着は着てないが、3人ともワイシャツにネクタイとい
ういかにもの堅いスタイルである。年齢からみて係長とか主査などという肩書も付
いていそうだ。
 名札のカラーもこういうオジサン達が、答えられない質問に立ち往生して恥をか
かないよう考え出されたのだろうか。
 見ればオジサンの1人はカウンターに立ち、1人は配架作業に勤しんでいる。残
る1人はカウンターの端の方で、団体貸出なのだろうか、大量の本のバーコードを
なぞってはワゴンへ載せるという作業を黙々とこなしている。
 初心者ですという標識付けさせられて現場仕事にあたる心境いかばかりかとも思
うが、どの人も年季の入った公務員らしく、感情表わすこともなく淡々と職務に精
励しているといった風である。
 それはそれで結構なことではあるが、適材適所と言う観点からはどうかなと、思
わないではない。オジサン達も腕を振るえる職場がいいだろうし、図書館には経験
を積んでピンクを目指すという人が相応しいはずなのだが、酒田市の人事制度はそ
れを許さないとみえる。

 図書館を一歩出れば、其処はまだ総合文化センターの中である。1982年開設とあ
るが中々立派な施設で、建物を南北に貫く広々としたエントランスホール(此処で
はモールと呼ばれていて展示スペースも持つ)は4Fまでの吹き抜け構造になって
いる。
 バブル前に東京ならぬ地方都市でこんな豪奢な文化施設構えるとは、さすが酒田
というところだろうか。
 案内に依れば生涯学習の拠点として建てられたそうだが、その割りにはスペース
面などから見て図書館が冷遇されているようにも感じられる。まあ1982年当時の図
書館の扱いはこんなものだったともいえるか。これがもう10年後の建設ならもっと
図書館にスペース割かれただろうとは思う。

 いずれにせよ現在の狭さは何とかすべきだろうな。
 間借りからの脱出考える時ではないか、というのをこのページ締めくくる感想と
させていただこう。

                 
                   NEXT  INDEX  TOP