台湾火車旅出たとこ勝負
其の6 枋寮の選択
7月23日日曜日 晴
台南での中休み終え、火車旅再開。取りあえず南へ向かうが今日はどこまで行
くのやら。今日こそ本当の出たとこ勝負になりそうな予感がある。
7時前には起き出しシャワー浴びて出発の支度。あまりいい睡眠ではなかった
か、眠い。支度と言っても昨夜のうちに荷物はほぼ纏めてあるので、パジャマ用
のTシャツと短パンをザックに入れるくらいなもの。寝具の乱れ軽く整え、忘れ
物が無いか部屋中眺め回して点検し、3泊した部屋出ていく。
リビングでお茶1杯飲んで、オーナーと花さんに見送られ7時半過ぎにははむ
家出発。民族路角のファミマで22元のパン1コ買って民族路~中山路と歩き台南
火車站。券売機で 68元の切符購入し8.10の区間車に乗り込む。台南にいる間に
台鉄時刻表を入手しておくことも考慮したのだが、手探りの旅もう少し続けたい
と結局は見送った。多分この調子で完走して、台鉄時刻表は旅の終わりに台北駅
で記念に買って帰ることになるのではないか。
まず向かうのは高雄。平日なら通勤通学の時間帯で混んでるかもしれないが、
今日は日曜とあって空いている。ただし高雄近付けば徐々に混み出し立ってる
人も増えてきたが。
台湾第2の都市高雄へ9.05 到着。商工業都市ということもあり興味は薄く行
きたい処は1つだけ。それは高雄市立図書館総館。
またかと言われそうだが高雄市図書館は中々のものと評判呼んでいるので見学
していきたい。まあ中味の程は判らないので施設面の話ではあるが。場所はネッ
トで検索し確認してきている。 MRT(都市交通、簡単に言って地下鉄)で3駅と
少し距離はあるが、高雄の街も見ていきたいので歩いて行く。
で、3~4時間先辺りの南へ行く火車の発車時刻何本か確認してから駅前に出
たのだが、どうも地図がうまく浮かんでこない。真っ直ぐ行って3つ目の MRTの
駅を目印に右折し、更に2つ3つ角曲がればいいだけと楽勝気分で地図も用意せ
ず来たのだが、ややイメージしたのと異なる駅前風景にとまどい覚えたか記憶が
うまく繋がらない。
それでも何とかなるはずとは思ったが、道に迷ってウロウロし(ウロウロは基
本的に好きなのだが)時間費やすのも不味いと道順確認すべく再び駅構内へ。
旅遊服務中心(ツーリストインフォメーション)へ赴いたのだが、これが10時
オープンでまだ閉まっていた。10時までは待てないし、さあどうしたものかと辺
り見れば視界に警察分駐所が飛び込んできた。駅構内に交番があったのだ。台南
文化派出所のことがあるので些か及び腰ではあるが背に腹は代えられない。入っ
ていけば此処はほんの小さな施設で、女子高生で通りそうな若い婦警が1人だけ
詰めていた。
「Library へ行きたいので道を教えて」と英語で用向き伝えたら「スマホは持
ってないの?」と返った来た。なるほど最近は皆スマホの地図アプリ頼りに動く
のか。しかしあんな小さな画面でちゃんと地図読み出来るのだろうか。
スマホ持ってたら訊きに来ないだろうと言いたい処だが、持ってはいてもスマ
ホが道案内してくれることも知らないITオンチのオジサンと見られたか。
その後2、3やり取りあり、奥から現れた男性警官と2人して MRT利用を勧め
られたが「I want walk」「I want look city」と押し通した。
結局文化派出所と同じくパソコン操作して地図を出してくれた。更に婦警は鉛
筆取り出し ①中山路 ②三多路と経路も書き込んでくれる。目的地にはliberyと
書いてあったがスペル間違ってるのはご愛嬌。
地図に書き込んでくれた通りに中山路~三多路~中華路~新光路と歩いて無事
高雄市立図書館総館に到着。40分くらいで着くだろうと思っていたが50分は掛か
ったか。街路に立って眺めればその姿は話に聞く通り壮観そのものである。ゴー
ジャスという言葉持って来てもいいかもしれない。
目の前にそびえるのは地上8階地下1階の巨大なビルだが、これは複合施設で
はなく総て高雄市立図書館。開館3年弱。公表データに依れば敷地2万㎡、延べ
床面積3万7千㎡、蔵書百万冊のキャパシティがあり、現在7割ほどが埋まって
いるという。
高雄市立図書館総館
大廳入口(エントランス)は3階にありエスカレーターで一気に上がる。入っ
て直ぐ左手にカウンターがあり、これが総合カウンターのようだがこの規模の図
書館にしては10m余りで意外と短い。スタッフもこの時3人付いているだけ。自
動貸し出し機など機械化図って利用者に直接対応しなくていいようにしているの
だろうが、これで回していけるのだろうか。
館の構成としてはB1に國際繪本中心と名が付いた児童コーナーと 400席の小
劇場があり3~7階が一般閲覧室。8階は事務室と会議室。屋上庭園もあり眺め
も良さそうだが行かなかった、というか行き忘れた。7階には際會廳という 448
席プラス躰の不自由な人向け6席のホールもある。
館内は広く、豊かさ感じさせる。図書館だけに華美な装飾があるわけではない
が、何処もスペースをたっぷりと取り貧乏臭さ、せせこましさとは無縁。席も多
い。どの階にも子供が走り回れるくらいの空きスペースがあり、一部はスツール
など置いて休憩コーナーとしているが、何か勿体ない気がしないでもない。
それでいて背の高い書棚が林立しているのは面白い処。日本では近年書架を低
くして見通しを良くし、開放感を出すのが流行りなのだが此処はその辺り昔なが
らの公共図書館スタイルで通している。
雑誌は面見せで1260タイトルが並べられるスペース(枠)が設けられている。
総て埋まっている訳ではないが、千は軽く並んでいるだろう。世界、文芸春秋、
Hanakoなど日本勢も姿見せている。
分類は当然中文図書十進分類法だが、棚に見出し札はなく(棚板にラベル貼っ
て済ませている)料理(様式別・材料別等どの程度丁寧に分類しているかでその
図書館の姿勢、やる気が判るので指標として使える)の棚を見ても分け方荒いか
なと思わせるものがある。これで利用者スムーズに望む資料見つけられるのだろ
うか。
高雄市立図書館で2時間余り過ごし、帰りは最寄りの三多商圏駅から MRT使っ
て高雄火車站へ。さすが早く数分で到着。運賃は20元。切符はプラスチック製の
ICチップで、出る時まごついたがなんとか数秒でセンサーにタッチしてからゲー
トに投入することに気付き、さほど後続に迷惑掛けはしなかった。因みに切符買
って乗っているのは私くらいで、見る限りその他すべての乗客はICカード(高雄
の MRTはiPASS・一卡通、台北の悠遊カードも使える)かざして乗車していた。
高雄からは更に南へ行くが、駅に掲示されているのは行先・列車種別・発車時
刻だけなので先の接続などは判らず、出たとこ勝負となる。服務中心(案内所)
へ行けば調べてくれるだろうが、その気は起こらなかった。もう少しワクワクそ
してハラハラの旅楽しみたい。まあ東部の主要都市台東までは行けるのではない
だろうか。
まずは 12.52に潮州行区間車があるのでそれに決め、発車までの間に食料を調
達。食堂に入って食べてる時間は取れないから車中で済ませようと待合室横のコ
ンビニでサンドイッチと飲物を購入。高雄車站には駅弁があるのでそっちも考え
たが、乗り込む列車の状況が判らず、ロングシートだと弁当は食べ辛いし、混ん
でいたら食べるのも憚られるしと軽食を選択した。
当の車両は古いが座席が進行方向を向いた特急仕様のクロスシートで、車内も
がらすきだったので、サンドイッチ齧りながら弁当にしとくんだったなと軽い後
悔あったが、まあこれは致し方ない。
竹田旧站そして池上文庫
高雄火車站定刻に発車した区間車は更に南へと走る、と書けばこれは誤りで、
台鉄の路線は高雄でぐいと90度折れ曲がっていて、約20㎞先の屏東までは南では
なく東へと走るのだ。ただし気分はあくまでも南へ向かっている。屏東過ぎれば
沿線には椰子林が広がり熱帯の趣き一層強くなる。
13.30 竹田火車站着。竹田郷という辺鄙な日本で言う処の村にある区間車しか
止まらない小さな駅で、駅前の風景も寂しいものである。ただ駅前は公園として
整備され竹田驛園という名が付けられている。
私が此処に降り立ったのはこれまで桃園、新竹、苗栗、台中、嘉儀、台南、高
雄とかなり大きな駅ばかりで乗り降りしてきたので、ここらで田園の中にひっそ
りと佇むといった風な小さな駅も体験したかったのと驛園にある池上文庫訪ねる
ためである。
池上文庫は大戦末期の1943年この地にあった日本軍野戦病院に院長として赴任
し、地元の人達にも慕われた池上一郎博士所縁の小さな図書館で蔵書は総て日本
語で書かれた本である。アジア最南の日本語図書館とも言われる。
池上博士が竹田にいたのは2年足らずと短かったが、医療資材も乏しかった戦
時中に兵士だけでなく地域住民にも診療を施すなど分け隔てなく接して慕われ、
博士もまた竹田を第二の故郷と感じたようで、敗戦を機に日本へ帰った後も交流
は続いた。
博士は台湾からの留学生の支援をすると共に日本語で育ちながら戦後国民党政
権となって日本語の本が入手出来ず、渇望感抱いていた竹田の人達に日本から本
を送り続けた。その博士寄贈の本を基に開設されたのがこの池上文庫で、2001年
1月16日開設の記念式典が行われた。この日は池上博士の誕生日で、91歳を迎え
た博士も來台して出席の予定だったが体調が思わしくなく断念され記念式典の模
様は送られたビデオテープで見られたそうである。そして開設から2カ月後池上
一郎博士は永眠された。
博士死後も篤志の方々による寄贈は相次ぎ今では1万冊を越える日本語書籍を
所蔵しているという。利用者は最初の頃は日本統治時代に日本語で話していた高
齢者が主だったが、さすがに時の流れと共にその人達も少なくなり、近年は屏東
大学日本語学科の学生など日本語を勉強している若者が増えてきたという。それ
と日本からの旅行者も時折姿を見せるとか。
運営は総てボランティアで公的な援助は皆無とのことだった。
池上文庫外観
池上文庫内部 座っているのは館長さん
実はこの日私が訪ねた時池上文庫は閉まっていた。夏の間は午前のみの開館と
のことである。上に掲げた内部の写真は2017年11月再訪した時のもので、文庫の
説明もその時聞いた話と後日手にした資料もとに記した。
池上文庫が開いてないだろうことは前日はむ家のオーナーから情報得ていたの
でそれほどショックでもなかったが、竹田站が高架駅になっていたことにはがっ
かりさせられた。近年台鉄は路線の高架化と駅の改築に力を入れていて、この田
舎の駅も早々と造り変えられていた。幾星霜に耐えた可憐な駅舎に降り立つこと
が望みだったのだが、来るのが遅かったか。
ただ木造の旧站は観光資源として保存され、昔ながらの姿を見ることも出来る
し、旧駅舎内に立ち入ることも出来る。
竹田旧站
竹田旧站 待合室
その後竹田の駅前を少し散歩。駅を背に真っ直ぐ延びる道を300m位先の十字路
まで行って戻ってきただけだが、どうも駅周辺は竹田郷の中心ではないようで民
家も疎らという感じだった。竹田郷立図書館もあったが閉まっていた。
枋寮の選択
14.13発区間車で一駅先の潮州へ14.18に着。区間車利用の場合ほとんどが潮州
で乗り換えとなる。ホームの電光掲示板見れば12分接続で枋寮行区間車があり、
そのまま乗り継いで行ってもよかったのだが、潮州駅前の風景なりとも見ていく
かと改札を出る。外へ出ずにそのまま通しで乗ってく方が運賃も幾分安くなるが
私もそこまでケチではない。
潮州も中々大きな街。駅も高架で新しくされている。駅頭に3分ばかり立って
駅前風景眺めると取って返し券売機の前へ。掲示板には数分後に出る枋寮行区間
車の後には台東行自強号が標示されていた。正確な時間差はこの時メモしてない
ので不明だが20分位だったか。
この自強号で一気に台東まで突っ走ることも頭に浮かんだが、それはちと味気
ない。まだ14時半だし、取りあえず枋寮までは区間車で行くことにし、37元の切
符購入。
枋寮へ向かう区間車はロングシートの古い車両で、乗客はまばら。台湾西海岸
の人口稠密地帯から過疎の地域へ分け入っていること実感する。途中林邊の辺り
より海が見えてきた。高雄図書館の上から港が望めたが、本格的に海を見るのは
台湾に来て初めてである。
枋寮火車站に15時18分の到着。この辺りの拠点駅か割りと大きな駅だった。こ
の枋寮の情報は皆無。ガイドブックにも全く載ってなかったし、如何なる所かさ
っぱり判らない。その分楽しみとも言えるのだが。
地下道通って駅舎へ。改札抜けて「さあ次の区間車は何時にあるんだろう」と
電光掲示板振り返れば、其処には思いもしなかった驚愕のダイヤが表示されてい
て凍りついた。直ぐあるのは24分発の自強号でこれはさっき潮州で見たやつのだ
が、途中で追い抜かれるかと思っていたら区間車が先着していた。
この自強号は見送る積りだったが、問題は次の列車で此れが大きく空いていて
15時台はおろか16時台も台東方向へ向かう列車はなく、次は17時過ぎの自強号と
なっている。此処まで来たら本数も少なくなるだろうとは思っていたがこれほど
とは想定遙かに超えていた。
さあどうするかだが、頭に浮かんだ選択肢は3つ。
1・24分発の自強号に飛び乗り台東へ向かう
2・1では味気ないから枋寮を散策し17時過ぎの自強号で台東へ行く
3・2だと台東着が遅くなるから先には進まず此処で宿を探す
この3案比較してこの先の行動決める訳だが、1の自強号発車までもう4分し
かない。切符も買わないといけないからのんびり思案している時間などない。近
年血の巡りが悪くなってきたかの自覚があるmy頭脳だがこの時とばかり高速回転
させる。
1は無難。台東にも明るい内に着けるから街を散歩しながら余裕持って宿探し
も出来る。しかしその分面白みがない。枋寮の街を見ずに行くのも心残りではあ
る。時間的に駅前へ出るのも難しい位だが、駅前の風景も見ることなく立ち去る
など私の旅の流儀に反することでもある。
2なら枋寮の街も歩けるし台東へも行ける。しかしこれだと台東着が19時前に
なってしまう。しかも台東という都市は火車站周辺は何もなく市街地はバスで20
分は離れていると言う。昔は市街地に旧台東火車站があり、其処が台鉄東部幹線
の終点だったが、1990年東と西を繋ぐ南廻線の開通により本線は台東の街まで入
らずずっと手前を通過することとなった。暫くは引き込み線の形で旧站まで列車
も走っていたのだが2001年に廃線となっている。
したがって台東新站からバスかタクシーで市街地に向かわなければいけないの
だが、さあ何時に着けるのだろう。台湾時間19時も過ぎ、昏くなってもくるだろ
うし、焦りながらの宿探しというのも後で振り返ればいい思い出になるとしても
あまりやりたいものではない。
では先を急ぐばかりが能ではないと今日は此処らで落ち着いてしまう3はどう
かだが、いかにもゆとりある旅でその点はいいにしても、果たして枋寮に宿があ
るだろうか。潮州や屏東辺りまでバックするのでは面白くない。
それと明後日のフライトは動かせないから今日ゆとりある分後の日程が窮屈に
なり、台湾東海岸を1泊2日で駆け抜ける訳でそれもどうだかなあ。
当然それぞれに長短あり、結論俄かには出ない。しかし1があるから悠長に構
えてはいられない。
熟考1分、出た結論は即座の台東行き。素早くメモ帳取り出し<台東・自強号
・15:24 >と書き付けるや窓口へダッシュして切符購入。223元だった。
改札通ったのは1分前。地下通路走り階段5秒で駆け上がってホームへ飛出し
発車の態勢でスタンバイしている自強号に滑り込む、と同時にドアが閉まった。
自強号利用は台中ー員林以来2度目だが、今回は正規に切符買って無座ではな
いので指定の席へ移動。通路側の席で、隣はかなり年配の女の人だったが、ちょ
こっと会釈しただけで言葉は交わさず。
自強号は枋寮離れ台頭を目指す。結局は無難な1を選択した訳だが、思案する
うち明後日の夕方には桃園空港に入らなければいけないという行程がプレッシャ
ーとなって覆いかぶさってきたのが大きかった。乗り遅れてチケットがパーにな
るなど馬鹿らしいし、そもそも LCCの予約を取り直してチケット購入に繋げる方
法が判らない。空港での現金販売などやってないだろうし、立往生は目に見えて
いる。まあ最終的にはなんとかなるんだろうが、下手すればANAやJALなどキャリ
アの正規運賃で帰る破目になるかもしれず、時間と金銭面のロスそれと旅の終わ
りに失敗したというある種の敗北感抱いての帰国など絶対に避けたい。
旅立ちの当初よりそれは頭にあったが、思案するうち俄然強くなった。仮にこ
の後災害や大事故で台鉄が全面的にストップしても何とか辿り着けるよう台北へ
少しでも近づいておこう。そう決めると次の列車でという選択も吹き飛んでしま
い切符買いに走っていた。
列車は海沿いから山間へと入ったようだ。詳しくは分からぬが多分台鉄の一番
南、底の辺りを走っているのだろう。やがてトンネルを抜けるとまた海が見えて
きた。台湾の東海岸へ出たのだろうか。とするとこれから先は北へ向かって行く
ことになる。
台東を歩く
台東 17.12の到着。まずは駅頭に立ち駅前の風景眺める。新站周辺話に聞いて
いた何もないと言うほどでもなくホテルらしき建物やレンタルバイク店なども見
えるが、駅正面にだだっ広い空き地が広がるなど茫漠として街の装いはない。
さあ台東の街へ向かわなければいけない。バスは何処から出るのかと駅前歩い
たら通りの向こうにバス停らしきもの発見。行ってみると客運(バス会社)何社
かの停留所が固まっていた。台東站のバス乗り場ならターミナル風の建物で係員
もいてどれに乗ればいいかなど案内してくれるかと思っていたのだが、屋根も無
ければ壁も無くただ客運ごとに標識立っているだけの代物だった。もちろん係員
などいない。
これはどのバスに乗ればいいのだろう。そもそも台東市街行きのバス停は此処
で合っているのか。バス停集まっているから市街行きも多分此処だろうとは思う
が絶対の保証はない。此処で待ちぼうけする内他所から出たというのでは洒落に
もならない。
後方に行先、発車時刻を書いたボードが立っているので其方を探査。すると鼎
東客運という会社に総站行きという便があるのが目に留まった。確か日本で読ん
でたガイドブックに台東旧站は火車の発着無くなった今でも台東のシンボル的存
在で、バスターミナルも併設され総站と呼ばれている、とか書いてあったなと記
憶蘇って、此処で待てばいいと確信持てた。バスもそう待たずに来そうだ。
そしてほぼダイヤ通りの時間にバスが到着。しかし行先は総站ではなく四維路
となっている。四維路とは何処?台東にそんな街路もあったような気もするが、
確かなものではない。このバスでいいのだろうか。さすが異国の旅、ひとつ解決
したと思っても次々難題降ってくる。
この時十数人がバス待ちしてて、次々と乗り込んでいったが、皆若い学生風の
子で、これは市街ではなく学生向けの宿泊施設が集まっている海辺のリゾートと
かに行くかもしれないなと疑い濃くなってもきた。
と、ここで後ろに青年が1人立っていたのに気が付いた。彼も学生風だが、慌
ててバスに乗り込まないなど落ち着き感じられる。英語も話すだろう。で「この
バスは総站へ行くのか?」と訊いてみたが見事に通じなかった。実は質問しかけ
て総站をどう発音するか判らないことに気が付き、えいままよと<そうたん>と
日本語そのままに言ってみたのだがやはり無理だった。Centralと言い直したが
これも通じない。しからばと次なる単語捜したがこれが浮かばない。お手上げに
なった時彼が「このバスはcityに行くよ」と教えてくれた。おおcityか、それな
ら大丈夫だろう。青年に感謝。どうやら総站と四維路同義語だったようだ。問題
解決だが、それにしても鼎東客運紛らわしいにもほどがある。バスと停留所行先
揃えておけよ。
バスに揺られること約20分台東総站18時頃の到着だったか。南国の空は未だ十
分明るい。因みに新站ー総站の運賃は24元だった。
総站は新しくなっていて駅前もすっきりした感じだが、通りの向こうにはレト
ロ感ある街並みが広がっている。誘われるように宿探し兼ねての街歩きに出る。
通り越え、総站背にしてすっと延びる中山路から右折して復興路に入り、さら
に光明路―安慶街ー正気路ー中華路など駅前一帯歩き回る。台東の情報は皆無も
同然。唯一ガイドブックに<古いが清潔>と書かれていた旅社の名前をメモして
あるだけで地図の用意も無い。台湾一周コース採って東側まで来るかはっきりし
てなかったし、情報収集といっても図書館へ行って地理・旅行のコーナーに並ん
でいたガイドブックをさらっと読んだ程度か。どうせ行き当たりばったりでなん
とかする旅なのだから右も左も判らなくても大丈夫。
市場などあり賑わってはいるが、街並みにも派手さはなく近代的とは言い難い
ものがある。西側の台中、台南、高雄は「都市」だが、台東は「田舎町」という
位の違いを感じた。
台東の街散策しながら今夜の宿探し。スマホは持たないからネット予約は出来
ないし華語も話せず電話予約も無理。したがって移動と同じく宿探しも出たとこ
勝負のもろ飛び込みでいくしかない。夕暮れ迫ってきているが、それほど焦りは
感じなかった。台東は宿も多いし泊まれないことはないだろうと楽観している。
台東市中央市場前 但しこれは翌日午前の風景
街歩き楽しみながらホテルが現われるたびに通りからチェック。そう高くはな
さそうで清潔感があるというのがポイントだが、中々両方の条件満たす宿は出て
こないもので、優柔不断もあってぐるぐる歩き回ることとなった。
歩くこと自体は苦痛ではないが、夜通し歩いてる訳にもいかない。結局此処な
らまあまあかなと総站からそう遠くない通りに建つ君安旅社選択し、入っていっ
た。愈々台湾初の宿泊交渉だが海外での飛び込みはヨーロッパなどでも経験して
るし、此処が駄目でも台東に宿は沢山あるからさほど緊張は無くまあ自然体。
フロントには中高年の女性いわゆるオバさんが座っていて、それほど愛想良く
はない迎え方をしてくれた。<有空房間嗎・部屋は空いてますか>と書いたメモ
を見せたら肯いたのでどうやら部屋はありそう。<房内設有浴室和厠所嗎>部屋
にバストイレは有るかも確認して「How much?」と値段訊いたら一言「Seven」
と返ってきた。700元ならまあいいか。台東に入るまでは 1500元位までなら出し
てもいいと考えていたのだが、台東歩いているうちに1000元までに抑えたいなと
変わっていた。その範囲にも納まったのでまずまず。どんな部屋か判らないが、
それは開けてのお楽しみ。人によっては部屋を見せてもらってから泊まるか否か
を決めるという手法取ることもあるようだが、私はそういう面倒なことは苦手な
のでOKと即決。
パスポート見せ、700元払って鍵を貰い投宿。部屋は2階の奥の方で、値段相
応にコンパクトな造りだが掃除は行き届いているようでまあ満足。Wベッドがド
ンとばかりに鎮座していて部屋の半分近くを占めている。狭い空間だがテーブル
があり椅子がありと一通りは揃っている。
またアメニティも洗髪乳・シャンプー、沐浴乳・ボディシャンプー、刮鬍刀・
かみそり、牙刷組・歯ブラシセットなど用意されている。500㏄ ペットボトルの
水も置かれている。
エアコンも完備だがいささかコンパクトなサイズで、最初はちゃんと冷えるの
かと不安に駆られたが、起動させると即座に冷気吹き出してきて、冷え方も申し
分なく台湾メーカーの技術力の高さ感じた。因みに南国だけに冷房専一で暖房機
能は付いてない。
シャワー浴び、一休みして外出。いつの間にか昏くなっていた。ブラブラと街
歩き。総站脇の公園の様な処に屋台が出て人が集まっていたので「此処に夜市が
あるの?」と入って行ったら“台東慢食節・Taitung Slow Food Festival ”と
いう自然食愛好団体のイベントだった。自然食(多分)売る出店が何軒かあり横
の広場ではミニコンサートもやっている。会場一回りしたが長居することなく早
々に退出。
さて晩餐だが、観光客も多い時期の日曜日とあって食堂はどこも混み合ってい
る。1人でのこのこ入っていくのも気がひけるし、ビールも飲みたいので――台
湾では食事の時飲酒しないのが一般的で、食堂も酒類置いてない店が多く、持ち
込みは出来るが歓迎はされない――この際台湾のコンビニ弁当試すことにした。
私は普段コンビニ弁当はまず食べないのだが――これまで2、3回はあるか――
高雄車站の7-ELEVENで見た弁当は中々美味しそうで、台湾のコンビニ弁当相当
にレベル高いなと感じさせられ一度試してみたいとの思い抱いたのだ。
そこで7ーELEVEN捜したのだが、これが中々見つからない。Family Martは何
軒もあるのに。やむなく妥協してファミマに入店。弁当、缶ビール、おつまみな
どを買い込んだ。締めて 237元。弁当は昼間見たのが豚の骨付きあばら肉を揚げ
た排骨飯(パイクウファン)だったので当然それを買うつもりでいたのだが、フ
ァミマには置いてなくてこれも妥協の焼肉弁当となった。これが確か70元だった
か。台湾のコンビニはレシートに明細が入らず総額だけなので各々の価格時間経
つとあやふやになってくる。
君安旅社に帰り、再びシャワー浴びてさっぱりし、TV見ながら(日本語チャ
ンネルなかったので何言ってるか判らないが)晩餐に取り掛かる。さすが熱帯で
飲むビールは旨い。ファミマの焼肉弁当不味くはないが、も一つ。7の排骨飯な
ら此れは美味いと感じたんだろうか。
さあ台湾もあと2日。ゴール迫ってきた。
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