台湾火車旅漂流記

       其の3  北回帰線と台南の夜

          
7月20日木曜日 晴  台湾2日目

 台湾2日目の朝、午前7時すっきりと目覚めた。昨夜は夜の街を30分ばかり彷
徨って宿に帰り、眠気も飛んでしまっていたのでラウンジで暫くメモの整理など
して結局寝たのは12時前だったか。夜中に1度も起きなかったので、ぐっすり7
時間は寝たことになるが、これは私にとって久々のこと。最近は寝ても4、5時
間で目が覚め、後はうつらうつらと浅い眠りのままで、ぐっすり感と
はほど遠い
のが常態化していただけに、この爽やかな目覚めは嬉しい。
 これも旅の効用と喜んでおこう。
 
 8時に朝食。ラウンジにお粥、トースト、おつまみ風の軽いおかず5、6種、
ゆで卵、フルーツなどが用意されている。もちろんコーヒーなど飲み物もある。
用意したのは昨夕小姐と入れ替わって出勤してきた男性スタッフと思うが(他に
スタッフの姿はないので)彼も気持ちいい男で昨夜も夕食の心配してくれるなど
何かと気を遣ってくれた。きびきびとよく動き、1人でフロント業務や雑用を遺
漏なくこなしていく。また彼も流暢な英語を話す。昨日の小姐もそうだが、一流
とはほど遠いこのクラスのホテルでもかなり能力ありそうな若者が働いている。
ある意味台湾のポテンシャル感じさせることではある。
 
 朝食済ませれば素早く出発のはずだったが、ややもたついて支度整ったのが9
時少し前。フロントへ行くと昨日の小姐が出勤して来てたので出発告げてキーを
返した。そして「お世話になりました」的なことを言おうとしたが、それに当る
英語が浮かばない。仕方なしに「Thank You」とだけ言い残して出てきた。
 「気持ちいい宿で良かったな」という満足感と「英語がこんなに錆び付いてい
るのか」との苦い思いが混じった複雑な出発だった。
 
 空は今日も快晴。気持ちいい夏空広がっている。昨日は飛行機、列車と冷房が
効いた中で長く過ごすことが判っていたので冷えすぎて体調狂わさないためTシ
ャツだったが、今日は袖なしのシャツ。ファッション的にはアメリカンスリーブ
と呼ばれているもので、スリーブレスシャツに短パン、サンダルというのがかな
り以前から私の夏の定番スタイルなのだが、海外に来てもそれは変わらない。
 まず台湾大道を駅と反対方向に行く。今日の計画は草悟道を歩いて国立台湾美
術館に至り、暫し美術鑑賞ののち昼前には台中駅へ出、区間車で南下、途中嘉儀
で2~3時間過ごして更に南下し、台南へ入ると立てている。
 草悟道は国立自然科学博物館と台湾美術館を結ぶ 3.6㎞の緑道で、爽やかで
気持ちいい道と聞いていて、歩くのを楽しみにしてきた。「行草悟道・緑の中を
行き道理を悟る」という言葉からその名が採られているという。ただ今日は全コ
ース歩くと後の時間が窮屈になるので半分だけに止めておく。
 大道からやや生活臭感じる公正路へ入り、10分余り歩くと市民広場に達した。
此処から草悟道へ入っていく。草悟道は都市の緑道らしく緑地、公園を結んで成
り立っている。市民広場という名前から何かモニュメント的な意味があり、歴史
感じさせるようなものかと思ったが、単なる原っぱだった。
 景観楽しみつつゆっくり歩いたが、ものの15分ほどで国立台湾美術館着。
 
 
      草悟道の途中  中央木々の隙間に美術館が見えたので撮ったのだが

 広々とした緑地の中に建つ国立台湾美術館。敷地は10ヘクタールあり、建物も
巨大。日本に此れより大きな美術館てあるのだろうか。ふと考えた。
 屋外にも彫刻かモニュメントか展示あるようだが今日はそちらを見ている
時間
はないので早速中へ。因みにこの美術館入館無料である。其れに魅かれてやって
来たというのではないが、正直な処無料の文字に反応しなければ此処に立ち寄る
ことは無かったかもしれない。もちろんタダというだけで退屈しには来ない。こ
れでもアートに興味は十分あるのだ。
 日本語版パンフレットも置いてあった。其れに依ればこの美術館には「明・清
時代の台湾文献や作品から、日本植民地時代や戦後モダニズム時期の芸術作品か
ら多元的に発展するコンテンポラリーアート作品まで」収蔵しているという。
 ついでに書いておくと荷物はコインロッカーに入れるが、これには10元コイン
が必要となる。日本の公共施設に置かれたコインロッカーだと使用後コインが返
ってくることも多いが、此処は残念ながら行きっ放しだった。

 美術館には1時間10分ほど居て退館。もう少しゆっくり鑑賞したかった処だが
次なる予定もあり、そうゆっくりとは出来ない。台中駅を目指し歩き出す。
 この場合なにも歩かなくてもタクシー使って移動時間を節約し、その分美術館
に長く居ればいいのにと指摘されそうではある。私もそれは検討した。が、やは
り出て来た答えは自分の足だった。私が歩く方を選ぶのは台湾の安い(日本の半
分以下か)タクシー代惜しんだのではなく台中の街をよく見ていきたいからで、
やはり歩かなければ見えないものもあるし、その分街の印象も鮮明になる。車使
えば時間が稼げるのは魅力だが、其処は両案天秤に掛けて歩きを選択したという
ことになるか。

 という訳で、今日も好天に恵まれた炎熱ものともせずせっせと歩く。森林路か
ら三民路、日本統治時代に建てられたという旧台湾州庁(今も台中市政府分庁舎
として利用されている)にも僅かな時間だが立ち寄り、民権路、自由路、民族路
と繋いで台中駅に 11.30頃到着。次なる目的地は台南との間にある嘉儀だが、壁
に貼られた時刻表見れば直ぐの区間車は途中の斗六まで。11.45発なので丁度よ
かった。洗面所行って顔も洗い、さっぱりして窓口で切符購入。今回もメモ書き
作戦だった。そもそも斗六をどう発音していいか判らないのだから口頭では到底
無理というものだろう。後で知る処ではドウリュウとか。
 
 さあ5分前だ頃合いも良しとホームへ上がるべく改札口へ赴き、上の電光掲示
板見上げたらもう出発しているはずの屏東行自強号(特急)がまだ表示されてい
るのが目に入った。発車時刻の横には<晩20>の文字が出ている。晩とは遅延の
ことだから20分遅れで運転中ということになる。その下には私が乗りたい区間車
があり、こちらにも晩25と表示されている。
 2日目にしてダイヤの乱れに遭遇したか。困ったもんだ。此処での25分の遅れ
はこの先の予定にズシリと響きそうで、台南入りかなり遅くなるかもしれない。
ホームへ出るのもどうしたものかとちょっと思案したが、とりあえず行ってみる
かと入鋏。

 上がっていくとホームは自強号待ちの乗客で溢れている。そうか、もう夏休み
シーズンに入って来たから、動く人も多いんだなあ、などと考えながらホームを
前の方へ歩いていたら其処へ遅れていた自強号が滑り込んできた。もちろん乗客
は多い。扉が開けば降りる人乗る人がホーム上に犇めき合い一種騒乱状態となっ
た。
 私は邪魔にならぬよう飲料自販機の陰に立ち人の流れが過ぎるのを待っていた
が、この時次の区間車も遅れているならいっそこの自強号で行ってしまえばとの
考えが閃いた。区間車で台鉄走破したいとの思いは強いが、まだ25分待たねばな
らないし、表示通りの遅れで来るという保証もない。此処での遅れがこの先連鎖
していけば今日の予定に齟齬を来してしまう。一方この自強号は私がホームへ出
るのを待ってたかのように姿見せた。これも一つの出会いと、流れに乗る手もあ
りそうだ。
 などとフラッシュの連射の如き閃きが頭の中で明滅し、数秒で「よし行こう」
と決断。発車寸前の自強号に文字通り飛び乗った。自強号の切符は持ってないが
そこは旅する者の鉄則「乗ったら勝ち、後は何とかなる」精神でいくしかない。

 乗ったのは4号車の後ろだったが、そのデッキには既に無座の何人かが立って
いて人口過密気味だったので、5号車前部のデッキに移動。其処は幸い誰もいな
かったので、暫しの居場所とした。
 思いがけず初めて乗った自強号だが、さすがに速い。車窓の景色は飛ぶように
過ぎていく。速いのは結構だが、私にはちょっと味気ないかな。やはり普通列車
でコトコトと、地域の人達の生活感じながら行く方がいい。
 それはさておき嘉儀での精算はどうなるんだろう。もちろん自強号の運賃は払
うが、疑問は台中ー斗六の区間車で購入した切符の扱い。相殺してくれるのか、
はたまた無効で只の紙切れと化すのか。98元だったから無効だと 400円弱を捨て
てしまうことになるが、まあその程度なら嘆くほどではない。話の種が一つ増え
たと喜ぶくらいなものである。
 台中から十数分で彰化、更に十数分で員林に到着。列車が員林駅に滑り込んで
いった時、ホームの反対側に区間車が停まっているのが見えた。どうも此処で特
急が各停を追い越していくようだ。1本前に出た区間車に図らずも追いついた訳
か。
 区間車の行先は嘉儀になっている。「あああっちでも嘉儀へ行けるな」と思っ
た瞬間躰が動いていた。素早く自強号から区間車へと乗り移る。自強号は間借り
しているようで落ち着かないし、区間車で行けるならそれに越したことはない。
区間車は空いていて、永靖~社頭~田中~二水と長閑に各駅停車の旅を楽しむ。
 と、同時に嘉儀での精算今度はどうなるんだろうとの思案があった。何も言わ
ずに切符差し出したら斗六ー嘉儀の区間車運賃で済みそうだが、それは宜しくな
いだろう。台中ー員林間は自強号に乗っているのだからその分をちゃんと精算す
る必要がある。私はこれでも昔から誤魔化し及びそれに類することはやらないと
決めている心掛けのいい人間なのだ。気持ちがいいということもあるし、長い目
で見れば結局その方が得になると体験上会得しているからでもある。
 しかしどう申告すればいい。<台中ー員林/自強号・員林ー嘉儀/区間車>とメ
モして出せば通じるか。ただそれに添える切符が台中ー斗六なのだから些かやや
こしいな。駅員が怒り出さないことを祈っておこう。


        北回帰線に立つ

 嘉儀に降りたのは1時半には少し間のある頃。精算は駅員が区間車の乗り越し
分しか請求しなかったので、46元払って落着。心掛けのいい人間でも向こうがそ
れでいいと言うのに、是非とも請求しろと頑張ったりはしない。
 嘉儀へは北回帰線を訪ねるためやって来た。北回帰線とは何か説明の必要はな
いと思うが、余計を承知で書いておくと、太陽光が地表に対して垂直に射す最北
のラインということになるか。
 地球の自転軸は傾いているのでそのラインは地球の公転とともに1年の周期で
変化していき、夏至の時は北回帰線まで北上して来たものが、そのあと南下して
いき秋分の日には赤道にあり、冬至に南回帰線まで達する。そして其処から反転
して北上を始め、春分の日に赤道を通過し、夏至にまた北回帰線まで上がって来
るということになる。当然北回帰線より北の地域では太陽が真上に来ることはな
くいつも南に見ている訳だ。
 また北回帰線は地点ではなく、北緯23度26分10秒前後(年によってばらつきが
あるそうな)で地球を1周するラインなので、アメリカ(ハワイ)、インド、エ
ジプト、中国、ミャンマーなど多くの国に存在する。実は日本でも南硫黄島と沖
の鳥島の間を通っているとのことである。

 その北回帰線が嘉儀の南郊を通っている。名所旧跡などには興味持たない方だ
が此れには心が動いて「北回帰線が見たい」と楽しみにしてきた。実際の処線な
どは引かれていないが、目印の標塔が建っているので、その前に立って空を見上
げ「夏至の日にはこの真上まで太陽が来て、次の瞬間にはまた南へ還っていくの
か」と見えない北回帰線を見詰め、暫し感慨に浸るとしよう。

 駅構内に旅遊服務中心(観光案内所)があったのでバスの便など情報仕入れ、
いつもの癖で駅周辺少しウロウロしてから、駅前のバス停へ。距離が4㎞強で、
時間の制約もあるので、ここは歩くことに拘らず素直にバスを使う。
 旅遊中心で教えてくれたのは嘉儀県公車という公営バスだったが、発車時刻過
ぎても来ないので、少し離れた所から出る民営の嘉儀客運バスを利用。さっきウ
ロウロしてる時こっちでも行きそうだなと目を付けておいたのが役立った。ウロ
ウロするのも無駄ではないのだ。
 嘉儀客運の乗り場にバスが入ったのを見てダッシュで移動。運転手に<北回帰
線標塔>と記したメモ見せたら肯いたので乗り込んだ。運賃は上車時集票の先払
いで24元。英語で幾つ目のバス停で降りたらいいかを尋ねたが、どちらに原因が
あるのか通じなかったので、これはあきらめた。
 大体10分位とは聞いていたからそれを目安に乗っていたら、丁度そのくらいに
<北回>という停留所に着いたので、ここに違いあるまいと降りたが、正解だっ
た。広い道路の向こうに北回帰線標塔が見えている。

  
  歴代の北回帰線標塔(レプリカ) 奥の建物が最新の6代目で展示施設もある

 北回帰線標塔の一帯は公園風に整備されている。標塔は1つではなく、古くな
る度新しいのが建てられていて、今は6基ある。ただし1908年建立という初代は
もとより古い時代のものは原形ではなくレプリカが立っている。一番新しいのは
奥に立つ円形のビルで、東西に通したアーチが回帰線示しているかと思える。展
望回廊、展示スペースがあり、太陽館という名が付いている。
 さあいよいよ北回帰線に立ち空を見上げる。これで目的は果たした。正に絶好
の北回帰線日和というか陽は燦々と降り注いでいる。見上げる太陽は夏至から1
月近く経っているので、真上ではなく少し南に傾いた処にあった。調べてみると
太陽光が地表に垂直に当るラインは1日に15㎞弱ずつ南へ下がっていくそうなの
で今は台湾も出てフィリピン付近にあるという計算になるか。
 
 折角来たから太陽館も見学。5階建ての円筒形で各フロアに展示スペースがあ
る。太陽を中心とした天文と宇宙工学的なものだったと記憶しているが、さらっ
と眺めただけ。館内よく冷房が利いていたので、移動しつつ涼んでいたようなも
のだった。5階が展望回廊になっていて、ぐるっと一回り 360度の眺望が楽しめ
る。ただし高さもそれほどではないし、絶景とはいいがたい。私としては太陽館
の直ぐ裏を台鉄の線路が走っていたことの方が印象に残っている。

 帰りは嘉儀県公車バスを使い嘉儀駅へ15時45分頃の到着。改札前へ行って掲示
板見上げれば、潮州行区間車が51分発と出ている。早い台南入りを選ぶか、1本
後にして嘉儀の街を少し歩いてみるか一瞬迷ったが、嘉儀にそれほど魅かれるも
のもなく、次の列車が故障して来ないということだってあるので、リスクとリタ
ーン秤に掛けて先を急ぐ方を選んだ。さっと窓口へ移動し、台南までの切符購入
90元。今回も筆談。台南はタイナンで通じるはずだが、区間車をどう言えばいい
か、其処まで調べてはいなかった。
 ホームに出た時まだ発車まで2分あったので、飲み物買っていこうと売店に立
ち寄る。今日は朝から水、レモン系炭酸飲料と飲んできたので、今度は何にしよ
うかと陳列に目をやると<冷泡茶>というペットボトル飲料が並んでいて、その
泡という字に誘われ「泡ってなにか意味があるのか。炭酸系のお茶なのか?確か
めてみよう」と購入。これが20元だった。
 潮州行に乗り込み発車後徐に口にしたが、これが甘い。また炭酸は入っていな
い。ひと言で言えば甘茶となるか。不勉強で知らなかったが、台式のお茶は糖分
含み甘いものらしい。思い掛けないテイストだったが、炎天下動き回って渇いた
躰にはスンナリと入ってゆき、中々美味いと感じた。この先台湾旅行中の愛用飲
料となるかもしれない。
 序に後で判ったことを2点書いておくと、冷泡茶というのはお湯ではなく、水
出しの製法で淹れられたお茶の総称だった。泡の字の意味する処は未だ不明。ま
た台湾でも近年は健康志向の高まりからお茶も無糖が主流となって来ているよう
で、実際私が後日台南のコンビニに入ったらずらりと並んだお茶は無糖のものが
大半を占め加糖はほんの一握りだった。
 
 走り出した区間車は程なくさっき行った太陽館の傍ら通過する。ということは
再び北回帰線越えた訳で、気候区分上北回帰線より北は亜熱帯、南は熱帯と分類
されているから、いよいよ本格的に熱帯入りしたことになる。
 火車は順調に走っていて、このまま行けば17時過ぎには台南站に着きそう。予
約している宿は駅から10分位というから、駅や駅周辺で少しウロウロしても18時
前には入れるだろう。列車の遅れがあったりしたが、それもうまく乗り越えたし
まずまず順調な1日だったな。と、この時1日が終わったかの寛いだ気分になっ
ていた。
 しかし旅の1日はそう簡単には終わらない。

 
   永康駅に停車中の区間車 自強号に追い越され待ちの間暇つぶしに1枚


          台南の夜 マンゴーと生啤酒の宴

 台南着はダイヤ通りの17時09分。台湾有数の大都市だけに、駅は人で満ちてい
る。宿に行くのはもう少し後でいいかと駅構内、駅前を散策。旅遊服務中心があ
ったので市街地図などもらい、あまり上手ではないが日本語を話す小姐が詰めて
いたので少し台南のことなど語らってきた。
  
    
                    台南火車站改札前
 
 駅周辺で30分くらいウロウロしていたが、ぼちぼち行くかとメモ帳取り出して
道順を確認。宿から地図をメールしてくれていたのだが、分かり易いからとプリ
ントはしてこなかった。
 メモしてきた道順の通り駅前の地下道潜り中山路へ出て暫く行くと民族路との
交差点に来た。この近くにコンビニのFamilyMart(ファミマ)があるので、その
先を曲がり、さらに次の角を曲がっていけば宿に着けるはずだ。
 さてファミマは何処と周囲を眺め渡したが其れらしきものは見えない。私は日
常においてめったにコンビニは利用しない人間だが、ファミマの店舗、看板など
はよく目にして知っている。台湾も同じデザインなので、こんな分かり易い目印
があればスムーズに辿り着けるだろうと楽勝気分で来たのだが、その目印が見当
たらないとは思いもしなかった。
 とにかくファミマを見つけなければ話にならない。で、そこらじゅう歩き回っ
たが見つからない。「日本ではめったに使わないコンビニを台湾で探し回ること
になるとは面白いもんだなあ」と最初は余裕だったが、10分過ぎ20分過ぎと時が
経つにつれ焦りも出て来た。これは恥ずかしいけど宿に電話して訊いた方がいい
かと思ったが、携帯はなく公衆電話も見つからない。駅ならあるだろうが、戻る
のもなあと煮え切らぬまま仕方なしという感じで中山路を1ブロック進んで民権
路との角まで来たものの其処にもファミマの姿はない。
 これは街の人に訊くしかないなと丁度表に出ていた包丁など刃物扱う店の主ら
しき人に宿の住所と台南の地図を見せて道を尋ねたら、店から息子と思える青年
呼び出し2人で相談に乗ってくれた。
 そして2人がこの辺りだと指し示したのは私の認識とは逆の方向だった。私は
駅を背に左手前方向のはずと思っているのに彼らは右手前方向の地点を指差す。
 さあどうしたものか。2人を信じるべきだろう。しかしかなり離れた所まで行
くというのも腑に落ちないし、2人も絶対的に自信あってという風でもない。こ
れは困ったぞ。
 結局青年がスマホ取り出し宿に電話入れてくれ、替った私が道を尋ねた処やは
り正解は2人の方だった。そして私がとんでもないミスをしていたことも判明し
た。私は中山路と民族路の交差点付近にファミマがあると思い込んでいたが、実
際は民族路に入って暫く進み忠義路との角まで行かなければいけなかったのだ。
メモ帳には中山路~民族路二段~ファミマ左折と書いてあるだけで(自分で書い
たのだが)道程の肝心な処が抜けていた。HPの地図を見ながら慎重に写したは
ずなのだが、こんな見落としやるとは「俺も焼きがまわったか」とショックでは
ある。
 それでもこれで答は出た。2人には鄭重にお礼言い改めて宿のある忠義路二段
を目指す。
 さあこれで今宵の宿に辿り着けると安心したが、近くへ行ってまた言うも恥ず
かしい見落としをやり忠義路周辺を彷徨う破目となった。挫折の二文字もチラつ
き始めたが、これも近所の阿姨(オバサン)に助けられ7時半過ぎ予約していた
宿にようやくの到着。想定より1時間半余の遅れだった。嘉儀からの車中で、今
日も順調な1日だったなと総括していたことが、まるで遠い日のことのように浮
かんでくる。

 今日から3日間の宿は台南の下町に構えたゲストハウス「はむ家」。路地裏の
年季入った町屋をほぼそのままの姿で使っているので趣はある。

         
    はむ家へ向かう路地  突き当りを左へ曲がると宿がある
 
 入るといきなりリビングというか泊り客がたむろするスペースで、長くしたテ
ーブル囲んでソファー、椅子が置かれ10人余りが座れるようになっている。折り
しもオーナー、客、女性ヘルパーがビール飲みつつ談笑中であった。
 私もソファーに座ってチェックイン。到着の挨拶を道に迷った顛末から始めな
ければいけないとは情けない限りだが、自分の失敗だし仕様がないか。中年世代
のオーナーとは「台湾は何度も来てるんでしょ」「いや初めてで」などと軽いや
りとりしただけで、館内の案内・説明・会計などは2人いるうちの年嵩の方の女
ヘルがやってくれた。
 寝室は2階に数室あり、1泊 500元のドミトリーもあったが、朝寝したり昼寝
したり気兼ねなく台南ライフ送ろうと、ちょっと贅沢して個室シングルに予約入
れていた。こちらは1泊 750元で3泊前払いで2250元の支払い。提供されたのは
シングルベッドではなく2段ベッドが2つ入ったドミトリー用で、4人入る部屋
を1人で使う形だった。まあ特に不満はない。玄関と寝室の鍵も受け取り、これ
で24時間出入り自由となった。はむ家はこの本館の他1軒置いた隣に別館があり
そちらも数室あるみたいなので、結構収容人数はありそうだ。

 シャワー浴び(バストイレは共用)さっぱりして降りてゆくとオーナーの姿は
なく、客の男性と女ヘル2人が談笑していたので私もそこに加わる。此処には何
回も来ている日本人客の柳井氏(仮名・50代後半くらいか)から「まあこれでも
飲んでください」と缶ビールの提供があり、ありがたく戴く。金牌という台湾で
はポピュラーなブランドで、味はまあまあだが、渇いた躰に沁みいった。昨夜は
飲まなかったからこれが台湾初アルコールになる。
 女ヘル2名も日本人で、便宜上年長(アラサ―位?)の方を花さん、20代前半
と思しき若い子をサッちゃんとしておこう。2人とも台湾へは中国語の習得目的
で来ているようで、中国本土より台湾の方が何かと便利な点もあるようだ。
 柳井氏はサラリーマン稼業を早期リタイアし、昨年あたりからアジア気まま旅
行を繰り返しているとかで、今回も長い旅程とり、明後日からは彼女(本人弁)
に会うためマレーシア入りするという。彼女と言っても前回行った時に関わった
水商売系の素人ではない女性のようで、気のよさそうな処のある人だけに金品毟
られるんじゃないかと心配したくなってくる。
 話はさほど弾まなかったが、台湾という共通テーマもあってなんとなく続いて
いる。途中女性客が1人帰ってきたが、直ぐ部屋に上がって行き、また若い男も
リビングの隅にいたが、こちらはスマホと睨めっこで全く参加してこなかったの
で4人の会話が続く。

 時計も9時を過ぎ、何か食べて来るかなと中座のタイミング計っていた時夜市
に行ってた連中が帰ってきた。まず姿を見せたのは野球帽を被ったドジョウひげ
の若い男で、その後ろにこれも若いが気怠い雰囲気まとった細い女が続き、最後
に禿げ上がった海坊主のような中年の巨漢が貫禄たっぷりに入ってきた。なにや
ら裏社会の顔役とその情婦そしてボディーガードという組み合わせに見えなくも
ない。
 もちろん彼らは裏社会の住人ではない。ただ私の第一印象としては申し訳ない
がそれぞれひと癖ありそうで、近付かない方が無難かなというものだった。
 だからすっと立って行ってもよかったのだが、そうしなかったのは彼らが夜市
からどっさりお土産を持って帰ってくれていたからで、それを見て少しくらい近
づくのもいいかなと方針変更。そこら辺は柔軟且つ臨機応変且つ現金なものであ
る。
 彼らが行ってたのは花園夜市という台南で一番大きな夜市だが、そこで買い込
んできた焼肉、鶏天風の揚げ物、生マンゴーのカットフルーツその他がテーブル
に並べられた。そしてこういう宿の常識というか慣わしというか、自分たちだけ
で食べるのではなくその場にいる全員に振る舞われる。
 彼らはビールも買ってきていた。これが缶ではなく瓶ビールでこちらもテーブ
ルに数本が並ぶ。ドジョウひげの男がさっさと隣のキッチンからコップを持って
きて「飲みますか」といいながら配ってくれる。意外といい奴かもしれないな。
他の人との会話から彼がカイト(これも仮名)と呼ばれていることもなんとなく
判った。この間女の方はソファーにペタンと座り込んで動かず、見かけ通りの気
怠さ発散している。
 思いがけず新たな酒宴が始まったが、スポンサーは海坊主氏のようである。ま
た彼らは元からのグループではなくここで同宿し、タイミングがあったので一緒
に夜市へ行ったということらしい。
 誰かがビール注いでくれグイと一口戴いたが、これがなめらかな喉越しで中々
美味い。そのまま二口、三口と止まらぬ勢いで入っていく。台湾には美味しいビ
ールがあるんだなあと緑色のボトルを眺めていたら隣から「そのビール美味しい
でしょう」と柳井氏。説明に依ればこれは「18天台湾生啤酒」という生ビールに
近く、その分鮮度に拘って賞味期限が18日しかないブランドという。なるほどボ
トルにも<ONLY 18 DAYS>と刷り込まれている。こういう情報が入ってくるのも
この宿ならではか。それにしても美味い。病みつきになりそうだ。
 ビールを飲み、焼肉、天ぷらをつまむ。またマンゴーが甘くとろけるばかりで
最上級の美味さだ。聞けば夜市の屋台で日本円換算1玉 150円ほどで出ていると
いう。「マンゴー1玉 150円か、さすが南国だなあ」とこの時台湾にいること強
く感じた。

 皆が気持ちよく飲むのでほどなくビールも底を付いてくる。するとカイトが立
ち上がり追加の買出しに行ってくれた。今度も金主は海坊主氏で、裕福なのだろ
うが中々の太っ腹ぶりである。
 再び18天台湾生啤酒がテーブルに並び、今度は偶々なのだがカイト青年が私の
隣に来て、柳井氏交えた会話が始まる処となった。
 もっとも最初は台湾に馴染んでいる2人の話を聞いているだけで口は挟まなか
った。彼らは高雄、桃園といった都市名も私達台湾初心者なら<たかお><とう
えん>と日本語読みするところ<カオシュン><タオユエン>など中国語読みで
語る。「なるほど慣れればこうなるか、俺もその内カオシュンと言ったりするの
かな」などと思いながら明後日にはマレーシアへ向かう柳井氏と同じく明後日フ
ィリピンへ向け出台するというカイトの話を聞いていた。
 その内自然の流れでカイトとも言葉交わすようになった。こちらも彼が喋り、
私は聞き役というポジションだった。私は人に語らせるのは得意なのだ。彼は27
歳。静岡で自動車の修理工をして金を貯め日本を出て来たという。そして日本に
帰る積りはなく、アジア各地を転々とし、何時の日か何処か縁あった地で起業し
定住するのだと言う。日本で夢を見られず、アジアに夢を求める。その意気やよ
し、とも言えるが、さあ思うように行くだろうか。なんか危なっかしいなとは思
うが、もちろん彼の人生だし、私自身が人に地道な生き方説けるような人生送っ
てないので何も言わない。

 さて時が過ぎて、ビールもなくなりおつまみも片付いた。まだマンゴーは1パ
ック分残っているがこれは冷蔵庫行きで明日のおやつになるだろう。なんとなく
お開きの雰囲気になり、各自使った食器を自分で洗い片づけてゆく。
 夜市組3人は最近オープンした24時間営業のお粥専門店へ行く相談がまとまっ
たようで、出掛ける体勢に入った。カイトから「行きませんか」と声が掛かった
が「朝粥食べたし気分は麵なんだよね」と誘いには乗らなかった。
 暫くして小腹満たすため私も外出。大通りなら何かあるだろうと、民族路へ出
てみる。時刻は夜の12時も過ぎ、南国の街台南とは言えほとんどの店は閉まって
いて、人影も遠くに1つ2つ程度か。寂しくはあるが治安のいい台湾だけに危険
な気配は些かも感じない。
 民族路を台南火車站とは逆の方へ少し行ったところに営業中の食堂があったの
で入り、貼られたメニューから麺を選び指差して注文。豚肉の載った小ぶりな麺
だった。此処もスープは薄味だが、それなりの美味さはある。何も判らず食べて
きたのだが、後で知ればこれが台南名物担仔麺(ダンザイミェン)というやつで
あった。
 腹を満たし、またフラフラと民族路を帰る。歩きながら「今日も長い1日だっ
たな」と朝からの動き反芻していたら台湾へ来てまだ2日目ということに気が付
いた。なんだかもう何ヶ月も旅してるような気がしてならない。台中で国立美術
館へ行ったのも、嘉儀で北回帰線に立ったのも遙か以前に感じられ、今日のこと
だなどとは信じ難い思いがある。これも次々と色んな事が起こっては過ぎて行っ
てるからで、実り多い旅になっている証しと言ってもいいだろう。今日もいい日
だった。
 すべてに感謝を。


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