敦賀市立図書館
漂着日 2009年3月
恵子ちゃんから年賀状が届いた。あれは小学4年生の正月だったからもう半世
紀近い昔か。恵子ちゃんは小学校の同級生だったが前の年に転校していった。春
だったか、夏休みの後だったかの記憶はもうない。特別仲良しだった記憶もなく
私は出していなかったのだが、なぜか恵子ちゃんから年賀状が来た。
あの頃の子供たちは小学校に入って2年生にもなると大人のまねをして年賀状
を書いたものだ。親にねだって年賀ハガキを10枚から20枚分けてもらいせっせと
書いていた。2年生3年生では「あけましておめでとう」だったのが、4年生に
もなると生意気に「謹賀新年」などと書き、ちょっと大人に近づいた気分味わっ
たりもした。
出す先は田舎のお祖父ちゃんお祖母ちゃん、いとこ達、仲のいい同級生そして
担任の先生など。そういえば12月も半ば過ぎて冬休みが近づいてくると、入れ替
わり立ち代わりで子供たちが訊きに来るのに音を上げた先生の住所が、黒板の端
っこに書かれていたりしたものだ。
恵子ちゃんの年賀状に書かれていた住所が敦賀市だった。漢字だったかひらが
なだったか、もう覚えてはいない。ただ恵子ちゃんは勉強の出来る子だったし当
時の子供はませていて背伸びする癖もあったからおそらく漢字だったと思う。
その時小学4年生の私には敦賀という字はまず読めなかったはずで、母親にな
んと読むか訊いたはずだ。その時のことかどうかはもう忘れてしまっているが、
恵子ちゃんの年賀状を見ながら母が次のように呟いたのはよく覚えている。
「恵子ちゃんのお父さん東洋紡やったわねぇ」
東洋紡とは東洋紡績。説明するまでも無く広く知られていると思うが、繊維産
業の草分けで、戦前から戦後の復興期に掛け日本の経済を牽引した名門企業であ
る。繊維は斜陽産業化しているが現在は軸足をフィルム、機能性樹脂など化成品
に移し未だ健在である。
私が子供時代住んでいたのは尼崎市だが、そう遠くない所に東洋紡の工場があ
った。ただし太平洋戦争末期米軍の空襲を受けて破壊され、戦後十数年を経ても
操業していなかった(後団地に姿を変えた)。広大な敷地を持ち、塀で囲われて
はいたが、幾つも潜り込めるポイントがあり子供たちは勝手に入り込んでは探検
したりしていた。
中は広々とした緑地が広がっているといった感じだったが、いくつかの建物は
残っていて、何をしていたのかは判らないが少数の社員が出てきてはいた。見つ
かると人によっては「コラ入ってくるな」と怒鳴られたりしたが、大抵はお咎め
なしで、割りと自由に遊ばせてもらった。
その東洋紡の社宅が学区にあり、子供たちは私と同じ小学校に通っていた。比
率はそう高くなく1クラスに1人いるかどうかという程度ではなかったろうか。
傍の工場は動いてなかったが、東洋紡の事業所は関西の彼方此方にあり、父親た
ちは大阪市内の本社をはじめ何処かしらへ通っていた。
恵子ちゃんも「東洋紡の子」だった。東洋紡の工場が敦賀にもあり、転校はお
父さんの転勤に伴うもので、どのくらいの頻度かは判らないのだが、私達の学校
から敦賀への転校は間々あったと思う。
私の母が恵子ちゃん一家のことをどの程度知っていたか、今となっては全く浮
かんでこないのだが、東洋紡の社宅組くらいは判っていたのだろう。そして私に
は2歳上の姉もいて、小学校の父兄をもう5年以上やっているので、学校情報と
して東洋紡の工場が敦賀にもあり、尼崎ー敦賀というルートがあることも知って
いたと見られる。
それで年賀状の住所に敦賀を認め「ああ東洋紡だったなあ」と閃いたようであ
る。私が敦賀という名を聞いたのはその時が初めてだったと思うが、以後相当期
間恵子ちゃんと東洋紡そして敦賀は私の裡で分かちがたく結びついていた。
ただこれを契機に恵子ちゃんと文通が始まるということはなかった。年賀状の
やりとりもそれほどは続かなかったはずだ。
翌年「今年はぼくの方から出すよ」と書き添えて恵子ちゃんに年賀状を送った
記憶はあるが、その年恵子ちゃんから来たかどうか、もう定かではない。その年
限りだったのか、中学に入るくらいまでは続いたのかも浮かんでこない。
浮かんでこないと言えば、恵子ちゃんの容貌も半ば忘れてしまった。こんな顔
立ちだったよな、という程度には思い描けるのだが、今一つ確信は持てない。
なんと言っても半世紀は長い。総ては霧の彼方である。
敦賀の街を図書館へ向かって歩きながら、このまちから年賀状をくれた恵子ち
ゃんのことを思い出していた。その後会うことも無く、消息を聞くことも無いま
まなので、今も此処で暮らしているかなどは全く判らない。
上に記したが、かなり長い間恵子ちゃんを思い出せば敦賀が浮かび、敦賀とい
う地名を聞けば恵子ちゃんを思うという期間があった。しかしその後の交流がな
かったこともあり、5年経ち、10年経つうち何時しかそれもなくなった。
したがって20歳代以降日本各地をウロウロするようになり、敦賀も何回か来た
が、その折恵子ちゃんを思い出すこともなく立ち去っている。私の前にあった敦
賀は北海道へ行くフェリーの出る港であり、山陰へと抜ける小浜線への乗換駅だ
った。小学校時代の思い出など完全に記憶の淵の底に沈みこんでしまっていたよ
うである。
それが今何十年か振りに恵子ちゃんの記憶が蘇ってきている。これも敦賀市立
図書館訪問の余禄と言えようか。
2月だったか出発前に北陸から山陰へと足を伸ばす今回の旅先の情報など調べ
ていたのだが、その中に敦賀市立図書館もあり、住所が「敦賀市東洋町」となっ
ていることに気が付いた。そして地図を見ると道路と川を挟んでいるものの、す
ぐ傍には東洋紡の工場が広がっている。工場の住所ももちろん東洋町である。
図書館は広々とした敷地に市民会館、福祉総合センターと並んで建てられてい
て、どうもこの一角も元は東洋紡の工場ではなかったかと思われた。
その後地図を眺めるうち最寄りのバス停が「東洋紡社宅前」となっているのに
目が留まり、ああ社宅だったのかと諒解。確認してはいないのだが、図書館は東
洋紡の社宅跡に建つのだなと結論得た。
とその時何十年かの時空超え、恵子ちゃんと敦賀と東洋紡のトライアングルが
蘇ってきたのだ。
それは懐かしいというより、むしろ新鮮な感覚で、胸に沁み入るが如き心地よ
さをもたらした。が、だからといって何かが始まる訳でもなく、暫し快感に浸っ
ただけなのだが、まあすっかり忘れてしまっていた多少の縁蘇ってきて、敦賀へ
の親しみ少し増したかなとは思う。といって長居は出来ないのだが。
敦賀市立図書館は敦賀駅から歩いて5、6分、かつては東洋紡の社宅が建ち並
んでいたんだろうなと推察される公共施設ゾーンにある。
1階部分がほぼ全面ガラス張りになった3階建てのビルで、形はシンプルだが
相当な予算掛けてしっかり造られていると見た。敦賀には原発もあり、高速増殖
炉<もんじゅ>というのもあるので、その筋の交付金などが財政潤し公共施設へ
と回っているのだろう。隣に立つ「プラザ萬象」と名が付いた市民ホールも能舞
台もある豪奢なものである。
図書館は1Fが一般成人、2Fが児童と郷土・参考書の部屋、3Fに会議室、
視聴覚室等という構成。1F全面ガラスの窓際にはソファーが配され、外には鯉
も泳ぐ池が広がりと、ホテル並みとはいかないまでも、ちょっとしたゴージャス
感漂わせている。
また奥まった所にはこれまたゴージャス感ある洗面台が2つ並んでいるが、こ
れは私には少し嬉しかった。
何故かというと、これは殊更書くのも気が引けるのだが、かねてより私は図書
館に入ると先ず手を洗うことを心掛けている。特に汚れてなくても公共の資料を
利用させてもらうのだからそれは当然のことと励行している。その場合独立した
洗面コーナーがあれば便利だが、そういう設備持つ館は少ない。大抵はトイレへ
向かうが、手を洗うだけにトイレへ入るというのも面倒なことで、特にドアノブ
回して出入りするタイプではノブを濡らさぬよう念入りに手を拭かねばならない
ので尚のこと面倒。だからといってこの儀式省略はしないが。
その点此処のようにトイレの外に洗面台があると、手軽に洗え、手も軽く拭く
だけで後は館内を移動するうち自然に乾くから面倒が無くていい。図書館の本質
とは関係ないが、ちょっと評価したい処ではある。
一般成人図書室の広さはおおよそ30m×20mくらいか。ほぼ矩形ではあるが、
角が少し欠けてはいる。席はソファー、棚脇のスツール、6人掛けの机席が6卓
などあり、全部合わせれば 100席余りある。窓際のソファー席はくつろぐにも最
適でゆったり出来そうだ。
上でも述べたが、施設としてはしっかりとしたいいものが造られている。
しかし分類はお粗末。というよりその意識も無しと見た。<370ウエ> と3次
分類にカナ2文字の図書記号とこれでも今時不十分な分類だが、しかもこれはラ
ベルがそうなっているだけで、実際棚にはカナの50音は無視で並べられている。
まさにただ突っ込んでいるだけで、493内科学はざっと700冊あるのだが、それ以
上の分類もされてなければ50音順にもなってないから検索してこの本読みたいと
思っても 700冊の中から探すしかない。291日本地理、330台経済もひたすらグチ
ャグチャならパソコン関連もグチャグチャ。棚のほとんどがグチャグチャ。いや
はや酷いものだ。とてもまともな図書館とは思えない。
私がいつも書くことだが、敦賀市民どれほどの時間を無駄にさせられているこ
とか。敦賀には‘図書記号は付いているのだからせめて50音順に並べろ’とか言
う人はいないんだろうか。
唯一 210日本史は背に古代・中世・近世などと印刷された小さなラベルを貼り
4次に対応した分類をしている。さすがに日本史ほど量があると3次ごちゃ混ぜ
では不味いと思っているようで、それならすっきり分類記号も貼り換え、検索ソ
フトも打ち直して4次に移行したらいいのにと思うが、この図書館にそれを望ん
でも無理な注文で、現状でも何もしてないよりはましか。
ただ最後に時代分けしていないない 200冊強の一群があり、これはなんだろう
と首を傾げた。分けられなくはないが、分けてはいない。意味する処を暫し考え
たが確たる答に行き着かず、やむなく館員に訊いてみると‘すいません、まだ分
けられなくて’ということで拍子抜けした。こんなの本が来たときに小ラベル貼
り付けるだけじゃないかと思うのだが、その程度のことが追っつかなくなってる
のだろうか。そのうちには、とか言ってたが、怪しいものだ。溜まる一方ではな
いかな。
そう感じるのも対応した館員(女性だったが)からあまりやる気、意欲といっ
たものが感じられなかったからで、ただなんとなくその日送ってます的な緩いも
のが見えた。
こういう図書館だけに、棚見出しの札も少ない。しかもほとんどが項目名では
なく分類番号だけの表示となっている。利用者のこと考えれば「政治」とか「教
育」とか表示する方がどんな分野が並んでいるかが直ぐ判っていいのは明白だろ
うに番号だけで済ませて平気な神経が判らん。しかもビニール板の台紙は大きい
のに貼り付けてる番号記したラベルは小さく見づらいとなんともちぐはぐ。
此れを見ても利用者の利便性も考えなければ、成果の伴う仕事をする意欲にも
乏しいことがよく判る。
滋賀県八日市図書館の元館長西田博史著「図書館員として何ができるのか」の
<住民に役立つ図書館づくりをを求めて>という章には「昨年(1993年)でした
か福井県のある市が立派な図書館を作ったというので近畿・北陸の館長十数人で
見学に行きました」というくだりがあり、そこで件の図書館をケチョンケチョン
にけなしている。曰く「職員が愛想ない」「サービスする姿勢がカケラも感じら
れない」「館長の態度もおかしい」「本が少ない、貧弱」「安っぽい本が幅を利
かしている」「利用者も少なく、これだけ不景気な図書館は全国的にも珍しい」
等々辛辣だが、これでもまだ遠慮していると思う。同じ章の他の箇所で「図書館
の価値」とか「いい図書館て、どんな図書館」など述べていて、そこから推し量
るに、直接表現は避けているが、詰まる処「館長始めまともな職員もおらず、図
書館としての『哲学』も無く、図書館名乗れる代物ではない」と言いたいのだろ
うと私は見ている。
どうもこの図書館が敦賀市立図書館で間違いないようで、建設の時期や児童が
2階にあると書かれていることから多分敦賀と思いつつも断定するに至らなかっ
たのだが、今回やって来て、さっき触れた洗面台見た時「やっぱり此処で間違い
ない」と確信した。西田書に「開架室には、ホテル並みに立派なピカピカの洗面
台があったりして、ちょっとチグハグ…」との箇所があり証拠が符合した訳だ。
ああやっぱり昔から酷かったんだなあと、妙に納得するものがある。
書かれたときからもう15年経ち、本も少なくはなく、利用者も多数いて(この
日は土曜日だった)当時と異なる姿も見せてはいる。館員も愛想いいとは言えな
いまでも、接して腹が立つというほどでもない。だけど本質的な面では何ら進歩
していないのではないか。700冊をグチャグチャに並べて何も感じない図書館に
哲学などなければまともな図書館員もいる訳がない。
開館の頃の劣悪な遺伝子が、修正も改良もされることなく今日まで生き延びて
いると見た。
ただこの図書館が努力も何もしていないということもなく「本の探偵 敦賀を
探せ」なる独自のコーナーも設けている。此処ではは敦賀を扱ったノンフィクシ
ョンや作品中に敦賀が登場する小説などを集めていて、小説・エッセーでは司馬
遼太郎、帚木蓬生、花村萬月、浅田次郎などが並んでいた。
また敦賀だけに原子力関連の棚もある。壁面に90p幅7段が3列。1000冊ほど
あろうか。原発に依拠する自治体の公共図書館だけに<原子力は豊かな未来を作
る>的な資料ばかり揃えているのではと勘ぐりながら棚の前に立ったが、中には
「原子力の時代は終わった」や「原発被曝列島」といった原子力否定の本もあり
骨っぽい処も見せている。
2Fは主に児童のエリア。案内板は「小中学生読書コーナー」となっていた。
奥に成人向の読書室(専ら自習用か)があり、その分1F図書室より狭くなって
いるが、それでもまずまずの広さ確保している。いつもながら児童にはあまり関
心向かないのでよく見なかったが、結構充実しているのではないだろうか。
児童エリアなのだが、窓際の席は大人サイズ。高校生も利用していたが、成人
が使っても差しつかえ無さそう。だがこれは子供達にとり迷惑な話だろう。子供
専用にしないのかと思うのだが、何もしない処がこの図書館に連綿と続く遺伝子
の為せる業なのだろう。
帰り際、「施設はいいんだけどな」と呟いてみた。
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