四日市市立図書館
漂着日 2008年8月
関西本線四日市駅のホームに降り立ったのは暮れ方の薄明も尽きようかという
頃。8月ももうあと3日とあってさすがに日も短くなり、夏も終わりに向かって
いること感じさせられる。
海側にはかの四日市コンビナートの工場群が連なっているはずだが薄闇の中に
あって確とは判らない。微かながら異臭漂ってくる。石油臭ではなく腐敗臭とい
ったものでもないようだが、あまりいい臭いではない。
跨線橋越え駅舎へ行けば、改札口には駅員が1人いるだけ。他に駅員がいる気
配もなく淋しいものだ。
もっとも名古屋からの列車で、まだ夕方なのに降りた乗客も少なく(10人はい
たと思うが)、この体制で十分なのだろう。
それどころかこれは翌日の話になるのだが、昼過ぎ熊野市辺りまで移動しよう
と四日市駅へ来ると、なんと駅員の姿はなかった。どうも人がいるのは朝夕だけ
らしい。人口30万市の玄関が無人駅とは想像もしなかった。十数年前1度降りた
時の記憶では広々としたホールのような待合室もあったのだが、今は閉ざされて
いる。自動車産業の発達した中京圏、鉄道の影すっかり薄くなっているようであ
る。
駅前に出てみると、周りにはオフィス的なものは見えるが商店はほとんどなく
ひっそりとしていて、降りてきた乗客が散ってしまえば人影もまばらで、灯りの
乏しさと相俟ち侘しさも募ってくる。
ただ好みを言えば、こういった哀感漂うかの光景嫌いではない。むしろ其処に
旅情も感じられ、暫し浸っていたくもある。
とはいえそうそうノンビリ構えてもいられない。もうほぼ暮れてしまったとい
うのに、今宵の宿がまだ決まっていないのだ。
この日は東京を7時台に出て、例の如く青春18きっぷで移動してきたのだが、
途中東海地方を襲った集中豪雨のために豊橋以西でしばしば足止め、徐行運転が
あり、想定外の遅い伊勢路入りとなっていた。宿もダイヤが当てにならず、何処
まで行けるかの見極めつけ難く、決められぬまま此処まで来てしまった。
今回は紀勢線で紀伊半島をぐるりと回り、和歌山からフェリーで徳島に渡って
四国も少し散歩してこようかと出掛けてきたのだが、旅の初めに思わぬ災難と出
くわした訳だ。
しかしこの程度の遅延で豪雨域すり抜けられたのは、まだ悪運健在と言えるか
もしれない。のちにニュースなどで知る処では、そのあと列車の運休相次いだと
いうことで、朝の出発がもう少し遅かったら豊橋、岡崎辺りで二進も三進も行か
なくなっていただろうから。
駅前ロータリーの真ん中が小公園風になっていて、其処のベンチに腰下ろし宿
探しに取りかかる。昔から計画に縛られぬ自由な旅を楽しんできたので、夕刻現
地着いてからの宿探しも慣れている。
ただその方法、ツールとして昔は駅の広告、観光案内所の紹介、職業別電話帳
に頼っていたが、近年は携帯電話の宿泊予約サイト利用と変わってきている。な
んといっても予約サイトは空室の有無がはっきりしてるので空振りがないのがい
い。いくら慣れているとはいえ、もう暗くなってきた旅空の下で満室宣告される
のは結構応えるのだ。
ほどなく1q余り離れた近鉄四日市駅前のビジネスホテルに今夜の宿が決定、
すぐさま移動に掛かる。先に触れたようにかなり以前1度途中下車したことはあ
るが、その時は関西本線四日市駅周辺にいただけなので近鉄の駅まで行くのは初
めてのこととなる。
ザック背負い夕闇濃くなった中を西へと歩いて行くのだが、通りは暗く人影ま
ばらで走る車までも少なく、まるで真夜中の街を歩いているかのような気持にな
ってきた。
ところが歩くこと10分余、近鉄四日市駅に近くなると周囲の様相が変化し、ま
ばゆい光に照らされるようになる。要は店舗が増えてきたからだが、出現したの
はまさしく繁華街。駅近くには幾筋もアーケードが走り、連なる各店舗は煌々と
照明照らし盛んに商い中である。人も沢山歩いている。更に駅からは続々と人が
吐き出されてくる。
これはどうしたことかと驚いて見せるのも間の抜けた話で、此方が四日市の中
心街だっただけだが、それにしてもえらく違うもんだ。僅か歩10分余で往年の活
力失い寂れ果てた地方都市から元気盛りの都会の駅前へ来た訳だ。聞けば此処が
三重県一番の商業集積地であるらしい。ただ四日市も御多分に漏れず、郊外に大
型店舗進出の煽り受け苦戦中とのことであった。
因みに旧東海道四日市宿もこの繁華街の辺りで、アーケードの一筋が旧東海道
だという。
さて四日市市立図書館訪問は翌日午前。図書館は近鉄四日市駅から更に西へ10
分程歩いた所で、繁華街は抜けたが住宅地にはまだ至らない――ただし比較的新
しいマンションは何棟か見える――といった街角に建っていた。
白いシンプルな形したコンクリート造りの独立館、それほど大きな建物ではな
い。階段部が塔のように聳えているのが印象に残るが、全体としてそうめかしこ
んだ構えではない。
入口の案内見ればこの図書館は3階建で1Fに児童室、一般成人室があり2F
が閲覧コーナーと地域資料室、3Fには学習室、会議室などが配されている。
入館。玄関から入っていくと丁度其処が一般成人と児童室の境目だったが、い
つもながら児童の方はスルーして成人室の方へ向き直る。
そして一般成人室を眺め渡した感想は、一言「書棚ばっかり」。フロアの中央
部に書棚が二十数本林立し周りに閲覧席・カウンターがあるという配置だが、棚
の背が高く、通路も狭いので見通し悪く、一望目に入るのは書棚だけといった眺
めである。
広さとしては25m×16mくらいのものだろうか。閲覧席は書棚取り巻くように
置かれている。全面ガラス窓背にした席や書棚の側板に沿って置かれた席、最奥
参考図書類の棚の傍に設けられた机席など1Fには50席余りある。スペース的に
余裕はなく実用本位という言葉浮かんできた。
建物の外観に合わせ館内も壁、天井とも白で、統一感持たせている。佇まいと
しては悪いものではない。この館の建造は1973年というが、当時としては垢抜け
たモダンな施設として評判呼んだのではないだろうか。
分類は「188.5 08」と図書記号は用いない4次分類(実際のラベルは3段)。購
入年を入れている処がまあ珍しいか。一番奥の棚を起点として、整然と分類記号
順に並べられている。210日本史1200〜1300冊、367家族問題約600冊、369社会福
祉約600冊、493 内科学約400冊ほどの量とみた。此れという特徴も見られず、ま
あ破綻もなければ冒険もないといった棚になっている。
唯一「これは…」と足が止まったのがスポーツの棚。やけにプロレス関連が多
いのだ。プロレスの説明は要らないと思うが、念のため書いておくとリング上で
ショーアップされた闘いを展開する格闘系で、そう図書館に並ぶものではないの
だが、此処は目を疑うくらいズラリと並んでいる。
通常競技別に見て最も多いのはまず野球で間違いなく、次いでは今ならサッカ
ーということになる。プロレス関連は遥かに少なく、率的に野球の1割あれば多
い方というのがまあ公共図書館の相場だろう。それが此処ではその相場大きく超
え、数えてみると野球115冊、サッカー103冊に対しプロレス関連は69冊もある。
これも今流行の総合格闘技系とかアマレス関連外したプロレス限定の数である。
こんなにプロレス本並べてる図書館は初めてだし、この規模ではまず他にないだ
ろう。
それにしても異常とも言える割合ではないか。四日市とプロレスとの由縁も聞
かないし、それほどプロレス本に対する需要あるとも思えないが。利用者に熱狂
的ファンがいて次々リクエスト入れたからだろうか。それとも選書担当者がそれ
で、公私混同の結果だろうか。何れにせよ公共図書館にプロレス関連本こんなに
並べる意味は見出せない。
まあ私としてはネタが1つ出来てよかったなという処ではあるが。
2Fへと上がる。2Fという呼称付いているが、一般成人室の天井が高く、吹
き抜けになっていて、その両端に中2階的に2区画設けられている。玄関側には
郷土作家研究コーナーと視聴覚ホールがあるようだが、此方には行かなかった。
更に学習室などがある3Fもスルー。
上がったのは建物奥にある区画。当然ながらそれほど広くはない。
2室あり、1つは閲覧コーナー。5〜6m幅で奥行約16mと細長い部屋で2人
掛けテーブル席や仕切りの付いた席など38席設けられている。正面の棚に地図と
新聞縮刷版が置かれているだけで、全体にすっきりとしている。
もう1室は地域資料室で5m×8m位の小部屋である。もちろん三重県、四日
市関連資料がびっしりなのだが、申し訳ないことながら現在の処どちらにも関心
薄いので入ったもののぐるっと一回りしただけで退出。
とこの時出入り口(ドアはないが)に置かれたラックが目に入ったのだが、其
処に並んでいたのは同人誌であった。
有志が金出し合って発行する同人誌も昭和の時代は盛んだったが、近年は見る
ことも稀で衰退の一途辿っているものと思い込んでいた。それが此処四日市市の
図書館にはずらずらと約30誌並んでいる。総て(だったと思う)文学系のものだ
が思いも掛けぬ盛況ぶりに目を見張った。同時になにやら疎遠になっていた友人
と再会したかのような懐かしさも湧いてきた。
実は私も若い頃は文学青年で、大阪の文芸サークルの周縁をウロチョロしてい
た時期があったのだが、其処で知り合った男女数名と意気投合して同人組んだこ
とがある。もちろん小説書いて同人誌出すことが目的なのだが、怠惰な連中が集
まってしまったので書くことより遊びに走ってしまい、最年長の人が割りと広い
家に夫婦だけで住んでいて、奥さんも気さくで皆が来ること嫌がらなかったのを
いいことに頻繁に押し掛けては呑んで唄って麻雀してトランプしてと遊び呆ける
うち1号も出せぬまま月日だけ流れていったものだ。
結局これではいかんと怠け者たちも奮起し、非才に鞭打ってなんとか1作書き
上げて持ち寄り、同人誌もようやく発行出来、先輩後輩招いての合評会も開いて
初志は果たしたが、そこでエネルギーも切れたようで、また遊びの会へと逆戻り
し暫し宴の時が続いた後、いつしか集まりも消滅した。私の20代前半から中盤に
掛けての3〜4年のことだが、楽しくも為す処なく過ぎて行った時を思えばホロ
苦さ漂う思い出ではある。
同人誌と出くわして懐かしさ覚えたのもそれ故で、私はその後文芸サークルと
も距離を置き、単なる本好きとして以外は文学的なものと関わり持たなかったの
で、同人誌の現況も判らなかったのだが、未だこんなに発行されていたとは驚き
以外の何物でもない。
何誌か手に取ってみたが結構頁数もある。また巻号からはかなり長期に渡って
発行されていることも判る(大体年1、2回から多くて季刊)。海は77号(2008
年5月発行)で172P、あかつきは39号(08.8)の262P、棧は23号(07.7)196P
ある。また泗楽は郷土作家の研究誌なのだが14号(07.11)で194Pあった。これ
らの発行所(もしくは代表者)の住所は四日市市になっている。他に方圓(23号
07.11 105P)は亀山市、あしたば(48号 08.4 105P)は津市だった。
この他まだ沢山置かれていて、総てに目は通さなかったが大体四日市周辺から
送り出されているようだ。人口30万人のコンビナート都市四日市でこんなに同人
誌活動が盛んだとは思ってもみなかった。四日市出身の著名作家で、同人誌「文
学者」を二十数年に渡って主宰し、瀬戸内晴美、吉村昭、津村節子、河野多恵子
らを世に送り出した丹羽文雄の影響もあるのかなと思ったりもするのだが、確た
る処は判らない。
まだまだ頑張ってる人達いるんだなあと刺激は受けた。しかし創作への思い再
るとまではいかなかった。
ほどなくして退館。帰り際カウンターの前を通ったのだが、カウンター内及び
その付近では女性館員が数名作業中であった。どの人もよく図書館に馴染んでる
なと感じさせる動きみせていた。
「この中にプロレス好きはいないようだな」と思いつつ四日市市立図書館後に
した。
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